市民と野党をつなぐ三田の会ー虹の会さんだ

市民の力で、野党共闘を実現しよう。

アベノミクスって何だ!?

 安倍首相が自慢げに繰り返すアベノミクスの成功。しかし、安倍首相がデフレ脱却を唱えて、今年で7年目。実感としての景気回復などほど遠い。日経の世論調査でも、政府が「戦後最長になった可能性がある」と指摘している現在の景気回復について、78%が「実感していない」と答えています。「実感している」の16%を大きく上回っており、内閣支持層や自民党支持層でも「実感していない」は7割に達し、内閣不支持層では「実感していない」は91%に達しています。

アベノミクスによろしく』明石順平氏「別人の身長を比較して、身長が伸びたと言っているようなもの」~ 2019.1.22の賃金偽装問題・野党合同ヒアリング「毎月勤労統計」の調査が不適切だった問題ついて。明石氏のコメントは4分過ぎからあります。

 今回は厚労省の毎月勤労統計不正で、国会でその事実をデータを持って明らかにした弁護士・明石順平氏の論※を借りて、アベノミクスの失敗を見ていきます。明石氏は弁護士で主に労働事件、消費者被害事件を担当。ブラック企業被害対策弁護団所属。ブログ「モノシリンの3分でまとめるモノシリ話」管理人。※著書「アベノミクスによろしく」及びブログ「モノシリンの3分でまとめるモノシリ話」を参考。

 今日までそのまともな検証されずアベノミクスは、安倍政権とメディアが一体となって、政府に都合のいい情報が流された感が多分にあります。しかし、明石氏はブログで数年前からアベノミクスがまるで成果をあげていないことを指摘しています。先述したように明石氏は「経済の素人」を自任しています。

 その明石氏がアベノミクスのカラクリを彼なりに分析してみた結果、経済学者の説明を待つまでもなく、これがまったくもって無理筋な政策であることがすぐに理解できたといいます。なぜ日本人の多くがこんなデタラメな政策に、いとも簡単に騙されてしまったのかと驚いたと、明石氏は語ります。

アベノミクスで実質賃金が下がり続ける

 アベノミクスとは①大胆な金融緩和、②機動的な公共投資、③構造改革の3本の柱からなる安倍政権の金看板といってもいい経済政策だが、その最大の特徴は①の金融政策ににあります。景気が良くなると物価が上がるという理論に基づき、人為的に物価をあげれば景気がよくなるという仮説を立てた上で、大胆な金融緩和によって円安を引き起こすことで物価上昇を実現すれば、経済成長が実現できるとするリフレ派の経済理論に基づいています。

 安倍政権と日銀が目指した前年比2%の物価上昇は6年経った今も実現しなかったが、とはいえ実際には物価は確実に上昇してきた。例えば2013年から3年間だけでも物価は4.8%上昇し、そのうち2%分は消費税増税に起因するもの、2.8%は円安に起因するものだったといいます。(2014年、消費税5%→8%増税

 しかし、その間、景気は一向によくならず、GDPの6割を占める消費が、まったく上向かず、その理由は根本の賃金が上がらないから当然です。

 アベノミクスのデタラメさは、名目賃金から物価上昇分を割り引いた実質賃金が、安倍政権発足後コンスタントに下がっていることにさえ気づけば、誰にもわかることだった。「なぜ誰もそれを指摘しなかったのか不思議でならない」と明石氏は言います。

 実際、実質賃金が下がり続けた結果、経済の大黒柱である民間の消費支出も下がり続けた。その間、支出に占める食費の割合を示すエンゲル係数は上昇の一途を辿りました。アベノミクスによって国民生活は苦しくなる一方だったことが、難しい計算などしなくても、ネット上から入手が可能な公表データだけで簡単に説明がつきました。

ここまでやる安倍政権のGDPの異常な伸び突出

 しかも、アベノミクスには、最近になって露呈した統計偽装を彷彿とさせる巧妙なカラクリが、いくつも仕込まれていたと明石氏は言う。

 例えば、政府統計では安倍政権発足後、日本のGDPは着実に上昇していることになっています。しかし、実際は2016年末に政府は、「国際基準に準拠する」という理由でGDPの算定方法を変更し、その際に過去のGDPを1994年まで遡って計算し直していました。その結果、どういうわけか安倍政権発足後のGDP値だけが大きく上方修正されるという不可解な修正が行われていたといいます。

 もともと「2008SNA」というGDPを算出する国際的な新基準は、これまでGDPに算入されていなかった研究開発費をGDPに含めるというもので、結果的に各年度のGDP値は概ね20兆円ほど上昇する効果を持つ。しかし、2016年に安倍政権が行った再計算では、これとは別に「その他」という項目が新たに加えられており、「その他」だけで安倍政権発足後、毎年5~6兆円のGDPが「かさ上げ」されていたと明石氏は指摘します。しかも、出版社を通じて「その他」の内訳の公表を内閣府に求めたところ、「様々な項目があり、内訳はない」という回答があったといいます。「その他」項目では、安倍政権発足前が毎年3~4兆円程度下方修正され、安倍政権発足後は毎年5~6兆円上方修正されていたことから、安倍政権発足以降のGDPのかさ上げ額は平均で10兆円にものぼると明石氏は指摘します。

日銀ETF買い入れ、GPIF年金投入で株価操作

 もう一つの重要なカラクリは、アベノミクスが株価と為替レートについて、「恐らく意図的に」(明石氏)、見栄えを良くする施策を実施してきたことだ。経済は複雑で多くの国民が日々、経済ニュースを追いかけているわけではないが、どういうわけか円・ドルの為替レートと日経平均株価だけは、NHKの5分ニュースでも毎日必ずといっていいほど、しかも一日に何度も報じられる。多くの国民がこの2つの指標を、世の中の景気を推し量る目安にするのも無理からぬことだと言います。

 ところが安倍政権の下では、この2つの指標が公的な強い力によって買い支えられ、つり上げられてきました。日銀はETF(指数連動型上場投資信託受益権)の買い入れ額を大幅に増やしてきました。さらに、年金を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は国内株式への投資割合を安倍政権発足後、倍以上に増額しています。要は日銀や政府の公的機関が、数兆円単位で東京市場の株価を買い支えてきたということです。

 先述の通り、為替については、かつて見たこともないような大規模な金融緩和による円安誘導が続いています。

 日々のニュースで、為替は1ドル110円以上の円安が、日経平均は史上最高値の更新が続いていることを日常的に聞かされ続けています。明石氏はそこに、一般国民にわかりやすい経済指標、つまり円・ドル為替と株価だけはしっかりと手当をする安倍政権の政治的意図があったのではないかと推察せざるを得ません。

アベノミクスのデマと安倍政権で進む民主主義破壊

 実際、2012年12月の選挙でアベノミクスを旗印に選挙に勝利して政権を奪還した安倍政権は、それ以来6回の国政選挙のすべてで、「アベノミクスの信を問う」ことで、ことごとく勝利を収めてきました。そしてその間、安倍政権は特定秘密保護法や安保法制、共謀罪等々、過去のどの政権も成し遂げられなかった政策(個人の自由や集団的自衛権容認)をことごとく実現してきました。しかし、実際の選挙ではそうした重要な社会政策は常にアベノミクスの後ろに隠されてきました。過去6年にわたり日本の政治はアベノミクスという呪文に騙されてきた結果が、戦後の日本のあり方を根幹から変える一連の重要な政策という形でわれわれに跳ね返ってきています。

 また、無理筋な経済政策で幻想を振りまいてきたアベノミクスの副作用や後遺症も、次第に深刻の度合いを増しています。そろそろわれわれも目を覚まさないと、未来に大きな禍根を残すことになりかねないのではないでしょうか。(文章元:マル激トーク・オン・ディマンド 第937回の紹介記事

 先に結論を述べました。アベノミクスの実態を知ることで、安倍政権の欺瞞体質が一目瞭然でわかります。消費増税原発再稼働、米国従属外交、沖縄基地加重負担・辺野古新基地建設、9条改憲と海外で戦争ができる自衛隊への変質。どれひとつとっても国民には不利益で不要なものばかり。国民が求める政策は、社会保障、雇用景気対策子育て支援、中等・高等教育無償化など切実で生活に直結するものばかりです。社会の基盤を支える政策は後回しにされています。

 目の前で繰り替えされる沖縄の切実な民意の無視、国会軽視の強権的な政治運営は、立憲主義、民主主義の破壊そのものです。さらに無理筋のアベノミクスによる日銀の異次元の金融緩和の長期化で、何かのきっかけで円・株価暴落、国債暴落……近い将来のパニックの恐れも高い確率で危惧されます。繰り返しになりますが、そのツケは国民生活に跳ね返ってきています。

 以下は明石氏の論と客観的データに依りながら、アベノミクスのウソで塗り固められた実態を暴いて行きます。しかも皮肉にもそのウソが、政府発表のデータで裏付けられというものです。政府が統計データ不正を行うことは、真実が国民に全く知らされないという危険な社会の招来を許すことになります。

 アベノミクスのウソ:物価の伸びが実質賃金を上回る

f:id:rainbowsanda170422:20190326173543j:plain

データ元:総務省統計局、厚労省毎月勤労統計調査

 増税アベノミクスで無理やり物価を上げる一方、賃金の伸びがそれに全然追いついていない。実質賃金は大きく落ち込んでいる。2014年に物価が大きく上がったのは、消費税の増税に円安が加わったから。2015年までの間に、物価は4.8ポイント上昇。日銀の試算によると3%の増税による物価押上げ効果は2%と言われおり、4.8ポイントのうち、2.8ポイントは増税以外の要因と考えられ、それは円安以外に考えられない。円安は輸入物価の上昇をもたらすので、物価を押し上げる。アベノミクス前は1ドル80円程度だったものが、2015年に120円を超すレベルに。その後、2016年にいったん円高になったので,2016年は前年に比べ物価が0.1ポイント落ちています。そして、2017年からまた上昇に。これは,また円安になったことに加え、原油高が影響。原油は燃料だけでなく様々な商品の原材料になるので、その動向は物価に大きく影響する。 

 日銀がいつまでも物価目標を達成できないので,多くの人が「物価が上がっていない」と勘違いしている。日銀の目標は「前年比2%の物価上昇」つまり毎年2%ずつ物価を上げていくこと。アベノミクス開始時点から2%」ではない。しかも、この物価目標は増税の影響を除くとされている。

 アベノミクス開始時から,増税の影響も含めると,2018年の時点で6.6%も物価は上がっている。その間、名目賃金は2018年時点でアベノミクス開始前と比較して2.8%しか上がっていない。増税アベノミクス(円安)で無理やり物価を上げる一方、賃金上昇がそれに全然追い付かないのが実態だ。

アベノミクスのウソ:急上昇するエンゲル係数、家計は苦しい

f:id:rainbowsanda170422:20190326200823j:plain
データ元:総務省統計局

 この急激な物価上昇がエンゲル係数(家族の総支出のうち、食物のための支出が占める割合。係数が高いほど生活水準は低い)の急上昇にもつながっている。食料価格指数はアベノミクス前と比べると2018年の時点で10.3ポイントも上がっている。増税が全て食料価格に転化されて3ポイント寄与したとしても、7.3ポイントの上昇の最も大きな要因は円安によるもの。増税と円安の影響で食料価格が上昇した一方で,賃金が上がらないため,エンゲル係数が急上昇したのである。

アベノミクスのウソ:国内消費停滞、一方でGDPかさ上げ疑惑

f:id:rainbowsanda170422:20190326212703j:plainデータ元:内閣府

 増税アベノミクスによる円安誘導は物価上昇と、実質賃金の低下をもたらした。これにより日本のGDPの約6割を占める実質民間最終消費支出(国内消費の合計)が、これまでにない停滞を引き起こしている。見てのとおり、2014年~2016年にかけて、3年連続で落ちている。これは戦後初の現象。2017年はプラスに転じたが、4年も前の2013年より下。この「4年前より下回る」という現象も戦後初。2009年のリーマンショックで実質民間最終消費支出は大きく落ち込んだが、基本的に右肩上がり。

 増税アベノミクスで戦後最悪の消費停滞が生じているのだ。実質賃金、実質可処分所得、実質実収入が減り、その影響で実質消費は停滞し、アベノミクス前より上がったのはエンゲル係数。国民アベノミクス前より確実に苦しい生活を強いられている。安倍首相は悪夢の民主党時代(この表現自体も首相の無知と突如興奮するエキセントリックな人格がなせるものだが)とか言ったそうだが,悪夢は今。

  これほど国内消費が停滞しているのだから,名目賃金が伸びないのも当たり前。国内消費に頼る企業は儲かっていないのだから。円安による為替効果で輸出大企業は儲かるだろうが,それ以外の企業は特に恩恵を受けない。むしろ原材料費の高騰などで、相当苦しい状況に立たされている企業は多いだろう。さらに、この数字ですら思いっきりかさ上げされた結果なのである。

f:id:rainbowsanda170422:20190326221329j:plain

データ元:内閣府

  2016年12月にGDPは改定されたが,改訂前後の名目民間最終消費支出の差額を示したのが上記のグラフ。いくら新基準になったとは言え、アベノミクス以降が突出している。これまでの検証で国民の所得は伸びていない。だったらGDPアベノミクスで急に増えるはずがない。特に2015年が異常。8.2兆円ものかさ上げ。

 なお、名目民間最終消費支出におけるかさ上げは,国際的GDP算出基準(2008SNA)とは全く関係ない「その他」という部分でなされているアベノミクス以降は大きくかさ上げしているのに、なぜか90年代は全部マイナス。この「その他」によるかさ上げ・かさ下げ現象を明石氏は「ソノタノミクス」と呼んでいる。

アベノミクスのウソ:医療・福祉雇用増で総雇用者所得が増えただけ

f:id:rainbowsanda170422:20190329061923j:plain

データ元:総務省統計局
 国会で安倍首相が吹聴している総雇用者所得は増えているいうウソについても触れて置かなければならない。何せ官僚からレクチャーされた「アベノミクス成果」に飛びついて、何の疑いもなく自慢したいキャラには閉口するが、ウソはウソと国民に知らせなければならない。
 安倍首相の論法は1人当たりの実質賃金は減っているが、総額なら増えているというものである。
これは確かにそのとおりで,雇用者数が増えているから。だが問題はそれがアベノミクスのおかげ?ということである。

 上記の表は職種別の増加雇用者数。これは2018年の職種別雇用者数からアベノミクス前である2012年の職種別雇用者数を引いたもの。

 医療・福祉が2位以下を大きく引き離してぶっちぎりの1位。125万人も増えている。これは明らかに高齢者の増大が影響しているので、アベノミクスと全く無関係。2位の卸売・小売も円安によって恩恵を受けるわけではないし、原材料費の高騰や記録的な消費低迷からするとむしろ不利益を被っている側なので、アベノミクスと無関係。3位の宿泊業・飲食業について、宿泊は円安による外国人旅行客の増加で恩恵を受けるかもしれないが、飲食は原材料費高騰や消費低迷の影響を大きく受けるので、アベノミクスとは無関係。4位の製造業はアベノミクスの影響といってよいもの。5位以下は基本的に国内需要に頼るものばかりなのでこれもアベノミクスとは無関係。

 既述したようにアベノミクスは金融緩和で「円の価値を落とした」だけ。これと因果関係(円安で得するか否か)が無ければ「アベノミクスのおかげで雇用が増えた」とは到底言えない。だから安倍首相の言は、常に都合の言い数字、文脈の切り取りでプロパガンダするから質が悪い。「増えた雇用の内訳」を見ると、アベノミクスと全然関係ないことが良く分かるのである。

アベノミクスのウソ:失業率低下はアベノミクス前からのトレンド

f:id:rainbowsanda170422:20190329073905j:plain

データ元:総務省統計局

 ここでも安倍首相のウソが分かる。アベノミクスで失業率が下がったと、これまた得意げに宣伝する。2008年のリーマンショックからマスで見る限り、徐々に雇用の改善がアベノミクス前から始まっており、トレンドとして定着している。高齢化が雇用改善の主因であり、アベノミクスは関係ない。またいいとこ取りのつまみ食いだ。

アベノミクスのウソ:求人数増もアベノミクス前からのトレンド

f:id:rainbowsanda170422:20190329075121j:plain

データ元:厚生労働省

 安倍首相の自慢する有効求人倍率についても見ていく。これも失業率と同じくアベノミクス前から有効求職者数の減少が始まり、他方で有効求人数が増加し続けているためで、有効求人倍率(有効求人数÷有効求職者数)は増加し続けている。アベノミクス前からのトレンドでアベノミクス成果ではない。ここまでいくとほとんど詐欺の感すらする。国民を舐めきっている証拠で、批判力のない新聞、テレビ、ラジオで毎日これらの偽情報を刷り込まれると、真実と思い込んでしまう人も多い事だろう。

アベノミクスのウソ:就業者増の主役は働かざるを得ない65歳以上f:id:rainbowsanda170422:20190329082524j:plain

データ元:総務省統計局

 さらに年齢層の就業者が増えたのか見てみよう。このグラフは年齢別の就業者について、2018年の数字から2012年の数字を差し引いて算出したもの。安倍首相がいう就業者数が増えたの中身は、働かざるを得ない高齢者が増えたという事が分かる。

 65歳以上の増加が圧倒的だ。266万人も増えている。年金だけでは生活していけないということなのだろう。死ぬまで働けということなのだろう。新羅万障を司るとバカな表現しかできない安倍首相は、官邸ぐるみの忖度ヨイショに踊らされて、全能感に浸っているのか。国民の貧困化へのイマジネーションは当然、働かないだろう。

アベノミクスのウソ:18年実質賃金大半がマイナスの舞台裏

 国会で追及された毎月勤労統計の経緯から。毎月勤労統計不正では、厚労省が東京都の500人以上の事業所について、本来全数調査すべきところを3分の1程度しか調査していなかったことが問題発覚のきっかけ。しかし、実はもっと重大な問題がその裏に隠されている。2018年1月から賃金の算出方向が変更され、従来よりも2000円程度高くでるようになった(主にベンチマーク更新のため)。高くなった要因は①サンプルの半分入替②ベンチマーク更新③3倍補正である。ベンチマークとは最新の経済産業構造調査に基づく労働者数推計の基準で、これをもって賃金を算出するもので係数のようなものと思えばよいらしい。この更新の影響が大半を占めている。そして、③の3倍補正というのは,約3分の1しか抽出していなかった調査結果を3倍して復元する操作のこと。これを2018年1月からこっそり行っていたことが最近判明した。そして、厚労省は2017年以前も3倍補正をして修正値を公表した。経済センサスをもとに、産業構造の変化を反映させるというのが「ベンチマーク更新」(2018年毎月勤労統計は2016年経済センサス調査を使用)である。毎月勤労統計調査はサンプル調査であり、全事業所に対して実施しているものではない。経済センサスは全数調査であり、常用労働者数については正確な数がこれで分かる。そこで、全数調査の結果を基準(ベンチマーク)にして、サンプル調査で得られた数字を修正している。

 しかし①のサンプルが半分違う点と、②のベンチマークが違う点はそのままである。本来遡及改定すべきだが厚労省はそれをせず、算出方法の異なる2018年と2017年のデータを「そのまま」比較し、「公表値」として発表しているのである。本来あり得ないことだ。

 この「算出方法の違うデータをそのまま比較している」ことがおかしいと、明石氏は2018年の9月10日付のブログで指摘している。では厚労省がネットで公開しているのサンプル半分入れ替えとベンチマーク更新の説明を見てみよう。※赤字のアドレスに①と②の変更について「毎月勤労統計におけるローテーション・サンプリング(部分入替え方式)の導入に伴う対応について」の表題で説明のPDFがある。  https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/maikin-rotation-sampling.pdf 

f:id:rainbowsanda170422:20190401080900j:plain
上記の説明は厚労省のPDFにあるベンチマーク変更の解説。内容は旧サンプルと新サンプルを比較すると、差が2,086円も新サンプルで高くなる。そのうち、部分入れ替えによるものが295円。ベンチマークの更新によるものが1,791円である。

 問題は、遡及改定していないので、平成29年までの賃金は旧ベンチマークのまま。新しいベンチマークを採用している平成30(2018)年の数字とは、当然大きな差が出ることになる。明石氏が行ったこの指摘は重要で、このカラクリが分からないと、短絡的に世間はアベノミクスで賃金が上がっていると勘違いしてしまう。実際、昨年のメディアはこぞって6月の賃金上昇を大きく報道した。

 グラフで見ると異常値があきらか。これによって平成30年の賃金の伸び率は当然高く出る。それ以前の3年間と比較すると一目瞭然。これまで説明してきたように、実質賃金も民間最終消費支出も増えていない。エンゲル係数も上昇。GDPもかさ上げ。周辺データがこの状態で、毎月勤労統計だけが伸びるはずがない。

f:id:rainbowsanda170422:20190330070031j:plain

 しかし、名目賃金よりも物価上昇率を差し引いた実質賃金こそ働くものにとって意味がある。2018年と2017年でサンプル企業が半分入れ替わっているものの、残り半分は共通している。そこで、厚労省はその共通事業所同士を比較した賃金の伸び率を「参考値」として公表している。だからこちらが賃金の実態を表している。そして、総務省の統計委員会もこの参考値の方を重視せよと言っている。実質賃金は出せる。以下が明石氏の計算結果。

f:id:rainbowsanda170422:20190401195618j:plain

 上記グラフのオレンジの色は厚労省が1月22日に発表した実質賃金の公表値(ブルーは同じ事業所比較のもの、正しい結果が示されている)。18年1月から半分サンプルが変更されており、サンプルの違う17年と単純に比較できないものを敢えて行って出したものだ。同じ事業所で比較した参考値こそ、賃金の伸び率の実態がわかるが、安倍政権は難癖をつけて何としても発表したくないらしい。以下はその記事。

f:id:rainbowsanda170422:20190401231358j:plain

極めつけはこのグラフ。実質可処分所得の推移で国民の生活が犠牲にされている!

醜い忖度政治横行、厚労省は正確な統計手法を放棄

 厚生労働省が中規模事業所に対する毎月勤労統計の調査方法を2018年1月に変更した際、最新の経済産業構造調査(経済センサス)の結果を過去のデータにさかのぼって反映させる補正を総務省の承認を得ず、独断で取り止めていました。

 毎月勤労統計をめぐっては、18年1月から厚労省が不正調査の「補正」をひそかに始めた他に、調査対象事業所を「総入れ替え方式」から「部分入れ替え方式」に変更し、最新の経済産業構造調査に基づく労働者数推計の基準(ベンチマーク)の更新が行われていました。調査対象事業所の入れ替えや労働者数推計の基準の更新は、それ以前の統計データとの間に「ギャップ(かい離)」を生じさせることから、これまで過去にさかのぼってデータを補正する処理(「遡及(そきゅう)改定」)を加えていましたが、厚労省は18年1月から、遡及改定を中止。このため、賃金伸び率が18年1月から急激に上振れしたことが明らかになっています。データ補正の変更は統計を管轄する総務省の承認が必要ですが、その手続きも無視しています。

 全ては官邸の言いなりで、ウソでもいいからアベノミクスの成功のデータを作れという、あり得ない腐敗がこの政権では蔓延しています。真実などこの政権では重要ではありません。国民を騙す詐欺を公然と行っています。

 アベノミクス6年で国民生活は良くなったでしょうか。平成の失われた30年は、日本社会の対立と分断、経済の停滞、雇用不安、貧困化を一層深めています。安倍政権による政治の劣化は、社会全体の規範を奪い、不条理で扇情的な言動が大手を振るい、真実を見えなくしています。

 このまま安倍政治を続けさせてはなりません。選挙で安倍政権NO!の意志表示こそ、誰もができる政治参加です。政治は国民のもので、何よりそのひとり一人が尊重され、大切にされなければなりません。

 もう一度問います、このまま安倍政治が続いて日本はよくなりますか?

f:id:rainbowsanda170422:20190401232109j:plain

f:id:rainbowsanda170422:20190401232131j:plain

 

「あなたに答える必要はない」ー 安倍政権の本質

言論弾圧を公然と行う安倍政権の驕り

 官邸記者会見の菅官房長官の答弁と、上村室長の東京新聞の望月記者への醜い質問妨害が続いています。内閣記者クラブが注目を浴びた最大要因は、ひとえに望月記者の貢献度が大きい。従来の政権側の垂れ流し広報に堕していた記者会見が、理不尽な政策を一方的に進める安倍政権にその見解をただすという一番国民が知りたがって事を、望月記者が代弁し圧力と妨害に抗しながら質問してくれています。

 ところが、2月26日の会見で飛び出した「あなたに答える必要はない」という、明らかな菅長官の暴言は、望月記者への威圧と同時に国民に対して発せられたものと言うべきものです。政権に逆らう、意に沿わないものには圧力をかけ、排除するという政権の本質を露わにしたもので、見過ごすことはできません。これは2017年7月の安倍首相の都議選最終演説の「安倍辞めろコール」のヤジに対して、「こんな人たちに負けるわけにいかない」と安倍首相が言ったことと同質で、「俺様にたてつく奴は黙れ」という民主主義破壊の脅しに他なりません。

 東京新聞の望月記者と菅長官のやり取りに関して、官邸側は東京新聞に抗議の申入れを執拗に送っています。この経緯は後で触れますが、この陰湿な圧力は安倍政権の体質そのもので、記者会見で記者の質問に問題や誤解があるというなら、その場で指摘すれば済む筈なのに官房長官はしない。それどころか、はぐらかしや一方的に質問を打ち切る場面が多々あります。申入れの中身は「事実誤認※」の質問で、視聴者に誤解を与えるというもので、この点の記者会と官邸の問題意識の共有が必要などときれい事をいっていますが、本質は圧力です。圧力は安倍政権の十八番ですので。※事実誤認とは辺野古埋め立ての土砂に赤土が大量に混じっており、沖縄県が問題だとしていることを指していますが、業者任せの古い検査報告書で問題なしとしています。

f:id:rainbowsanda170422:20190304130642j:plain

f:id:rainbowsanda170422:20190228200503j:plain

会見では木で鼻をくくった答弁と脅しを繰り返す菅官房長官、質問妨害の上村官邸報道室長と記者会見の在り方を問い直した東京新聞・望月記者。記者会の唯々諾々として政権側に従う弱腰が最大の問題であり、完全に舐められているとしか言いようがありません。

東京新聞記者のやりとりで分かる政権側の無理筋

 菅義偉官房長官東京新聞記者による「回答拒否」の26日の記者会見でのやりとり。
 【午前】
 記者 上村(秀紀首相官邸報道)室長の質問妨害について聞く。1月の(自身の)質疑で1分半の間に7回妨害があった。極めて不平等だ。妨害が毎回、ネットで拡散されることが政府にとってマイナスだと思っていないのか。
 長官 妨害していることはあり得ない。記者の質問の権利を制限することを意図したものでは全くない。会見は政府の公式見解を(記者の)皆さんに質問いただく中で国民に伝えることが基本だ。だから経緯(の説明)ではなく、質問にしっかり移ってほしいということだ。
 記者 妨害ではないというのは事実誤認ではないか。非常に違和感がある。政府が主張する事実と取材する側の事実認識が違うことはあって当然だ。今後も政府の言う事実こそが事実だという認識で、抗議文をわが社だけでなく他のメディアにも送るつもりか。
 長官 事実と違う発言をした社のみだ。

【午後】
 記者 午前中は「抗議は事実と違う発言をした社のみ」とのことだったが、東京新聞首相官邸が出した)抗議文には表現の自由(にかかわる内容)に及ぶものが多数あった。わが社以外にもこのような要請をしたことがあるのか。今後も抗議文を出し続けるつもりか。
 長官 この場所は質問を受ける場であり、意見を申し入れる場所ではない。明確に断っておく。「会見の場で長官に意見を述べるのは当社の方針でない」。東京新聞からそのような回答がある。
 記者 会見は政府のためでもメディアのためでもなく、国民の知る権利に応えるためにある。長官は一体何のための場だと思っているのか。
 長官 あなたに答える必要はない。時事ドットコムニュース 2019/02/27-16:59)

  以上が菅官房長官東京新聞・望月記者の質問に対して語った発言です。菅氏の威圧的な姿勢(=強権安倍政権)が、遺憾なく発揮されている記者会見です。記者会見は政府の公式見解を述べる場であり、質問を受けるが意見を言う場ではないという主張は全くもって聞く側には理解できません。

 意見を含まず質問せよなど、生の記者会見では不可能です。安倍政権の矛盾や公平性や妥当性を欠く政策について、問題や疑念をぶつけるのは記者として当然です。官邸側の主張は理不尽で言論の報道の自由言論の自由を奪うもので許せません。記者の質問は、最も国民が聞きたい知りたいところであり、だからこそ多くの支持を得ています。

「あなたに答える必要はない」の発言は2月26日午後の部の動画後半にあります。27日の動画ではさすがに他社新聞記者も「あなたに答える必要はない」の菅官房長官発言を問題視しています。

発言取消し否定の菅官房長官の異様な傲慢

 菅義偉官房長官は2月27日の記者会見で、東京新聞記者が26日に会見の意義などについて質問したのに対して「あなたに答える必要はありません」と述べたことについて、撤回や修正の考えはないと明言しています。
 発言は、東京新聞記者が26日午後の会見で、「この会見を一体何のための場だと思っているのか」と質問した際の回答。菅氏は27日の記者会見で発言の趣旨を問われ、「私はこれまで国会や記者会見の場で累次に渡って、官房長官記者会見は記者からの質問に対し政府の見解、立場を答える場であると述べてきた」と強調。しかし、質問と見解・意見の差異を区別することにこだわるのは政府側の屁理屈で、しかも形式的とは言え、記者会が記者会見を主催してる訳ですから、記者側が政府の矛盾点を追及するのは当然と言えます。さらに言うなら、官邸側の上村氏が司会をすること自体も変です。
 しかし、菅長官は「あなた」と質問者を特定したうえで、答えを拒否しています。記者に圧力をかけていることは明らかなのに、それには答えず逃げています。東京新聞・望月記者の質問に手を焼いていることと、動画が政府自身がネット配信しているというジレンマが見てとれます。国民にとっては安倍政権の悪辣振りが「生」で知り得る官房長官記者会見は、これからも監視続ける必要があります。

真っ当な東京新聞の検証と見解

 東京新聞はこれまで9回にわたる官邸側から申し入れがあったことを明らかにし、新聞紙上で公開の反証記事を掲載しています。 発端は辺野古埋め立てへの赤土投入の疑惑を、望月記者が質問したことに始まります。

 官邸側の抗議内容は2点。1. 沖縄防衛局は埋め立て土砂は仕様通りと確認済み  2. 琉球セメントは県の立入検査を受けており「事実と反する」との抗議らしい。しかし、検査報告書は16年と17年に沖縄セメントが業者に依頼したものを提出したもので、防衛局自ら行ってはいません。沖縄県は立入調査やサンプル提供を求めていますが、国側は拒否し続けています。要は検査が古く、防衛局は業者任せで何もやってないのに、事実誤認とわめき立てています。

 抗議は「事実に基づかない質問は謹んでほしい」から、さらに飛躍して「記者会見は意見や官房長官に要請する場ではない」として、質問や表現の自由の制限まで及んでいます。意見や要請の解釈は、官邸側の勝手で恣意的にいくらでも変えられるもので、勝手なご都合主義と言わざるを得ません。

f:id:rainbowsanda170422:20190304122633j:plain

官邸の上村名で内閣記者会への申入れ文書。中身は東京新聞記者排除の意図がありあり。この抗議文はさすがに生ぬるい記者会も受け取りを拒否したようですが。

 さらに驚くのは、度重なる抗議の中で望月記者の森友疑惑での「記者は国民の代表として質問に臨んでいる」の発言を捉えて、子供じみた反論を行っています。「国民の代表とは選挙で選ばれた国会議員。貴社は民間企業であり、会見に出る記者は貴社内の人事で定められている」、「国民の代表である根拠を示せ」と。ウソと隠ぺいの安倍政権とその同調国会議員に真実を求めることなど、できるはずがありません。メディアが本来の国民の知る権利の代行をしているわけで、その意味では明白に国民の代表であるはずです。以下東京新聞の反論の記事です。

f:id:rainbowsanda170422:20190304132150j:plain
東京新聞による時系列の9回に及ぶ官邸申入れ内容。赤アンダーラインは国民の代表の根拠を示せと官邸の長谷川内閣報道官名で抗議。この人物は上村氏の上司。菅長官ー長谷川報道官ー上村報道室長のラインでつながっています。

「知る権利」を奪う、国民全体に向けられた課題

  今回の問題で突きつけられたものは、報道の自由や国民の知る権利を、安倍政権はいとも簡単に躊躇なく奪うということです。安倍政権は明らかにここに来て言論統制を狙ってきています。現実にテレビはもちろん新聞も政権批判には既に及び腰です。

 安倍政権の東京新聞と望月記者への圧力は、民意無視の沖縄・辺野古新基地建設に繋がり、最終的には国民の権利や自由の制限に行き着きます。秘密保護法や共謀罪、盗聴法、戦争法の安保法まで作り、憲法改正を企み、平和と民主主義を脅かしています。国民は大人しく忘れやすいと高をくくっています。目の前の繰り返される安倍政権の横暴をこのまま許せば、どうなるかは明らかです。だからこそ、重大な問題を背景に持つ今回の安倍政権の言論弾圧を許さず、撤回させなければなりません。

f:id:rainbowsanda170422:20190304170041j:plain

f:id:rainbowsanda170422:20190304170104j:plain




 

 

社会を変えるには

 どう見ても真面ではない安倍政権が今もって継続しています。何故なんだろうと毎回疑問に思っています。安倍晋三という個人は、無能と言っても差し支えないでしょう。ただ異常な特権意識と猜疑心の持ち主であり、本人周辺をお友達で固めています。ご注進する輩には事欠きません。森友・加計疑惑、特に森友疑惑では財務省が公文書改ざんをやっていますが、トカゲのシッポ切りで安倍首相、麻生財務省も責任すら感じていません。一方、世論調査で森友・加計疑惑の首相説明に納得しない比率が高いのに、安倍政権支持はそこそこある。疑惑に納得しない高い比率が、そのまま内閣の不支持にならない国民意識って、何だろうと不思議でなりません。と思うと、今までとは異なる社会状況が生まれているのではないかという、モヤモヤが常にありました。

 今回はそのモヤモヤ解消の糸口になるか分かりませんが、「社会を変えるには」小熊英二講談社現代新書を、当方が必要と思われる所を引用して行きます。かなり独善的で、間違った解釈もあるかも知れません。できれば元ネタ本をお読みください。

日本社会はいまどこにいるのか

 2000年代から、不況だ、格差だ、未来が危ぶまれる、という声が日本社会で強まってきました。1960年代から80年代まで、「Japan as No.1」とも呼ばれた日本。いい学校に行って、いい会社に行けば、安定した生活と老後が待っていると信じられていた「1億総中流」の時代。その時代に築かれたしくみが、雇用でも教育でも、社会保障でも政治でも、行き詰まっています。しかし、次のモデルが見出せない。これが日本社会の現状です。

 著者はわが国の長く続く閉塞状況をポスト工業化社会と社会現象が一つの固定化したものとして捉えられない、常に変化し続ける「再帰性の増大」(※再帰性については後述)をキーワードに、様々な具体例を提示して説明しています。経済が右肩上がりで「一億総中流」と言われ、画一化して、社会が分かりやすく俯瞰できた工業化社会が終わり、人々の生き方や価値観は「自由」で「多様」になる一方、マスとしての階層はなく、見通しがしづらい社会が到来し、従来の政策が機能しない状況になっています。その矛盾が一気に現実になったのが東日本大震災での福島第一原発事故です。安全と言われた日本の原発は、政府や利害関係者の原子力村によって作られたウソだったことが白日の下にさらされました。

 ポスト工業化社会

 情報技術が進歩して、グローバル化が進みます。先進国の製造業は、国内の賃金が高いので、海外に移転するか、海外の工場と契約を結びます。国内に自社工場を持つにしても、コンピュータ制御の自動機械があれば熟練工はあまり必要ありませんから、現場の単純業務は短期雇用の非正規労働者に切り替わります。

 事務職でも、単純業務は非正規に切り替わり、デザインなどの専門業務は外注すればよくなります。長期雇用の正社員は、企画を立てたりする少数の中核社員のほかはいらなくなります。ピラミッド型の会社組織も必要なくなって、随時に集まって随時に契約解除する、ネットワーク型に変化しています。

 先進国では製造業が減り、情報産業や、IT技術をもとにグローバルに投資する金融業などが盛んになります。また宅配業やデータ入力業など、新種の下請けの仕事がたくさん生まれます。ビジネス街で働く中核エリート社員を支えるためには、単純事務作業員やビル清掃員、コンビニや外食産業などの労働者が必要です。

 これらはマクドナルドのアルバイトに象徴される、「マックジョブ」と呼ばれる短期労働者の職になります。一人の中核エリートを支えるのに、5人の周辺労働者が必要と言われ、先進国の都市であっても、多数派の周辺労働者が形成され、格差が増大します。

 働き方が変わってくると、労働組合が弱くなります。人の入れ替わりが激しく、外注や短期契約が増え、組織率が下がります。「労働者」といっても様々で、どの労働者の利益を守るかがむずかしくなります。従来の労働組合に組織されていた正規雇用の人たちを守ろうとすると、非正規労働者との対立も起きがちになり、労働組合は一部の人しか代表していないと思われる事態になります。

  働き方も服装も「自由」で「多様」になって、労働者意識が薄れていきます。それもまた、労働組合と労働政党を弱めます。しかし、保守政党も「自由」と「多様」を背景に同様に企業家、農民の支持も弱まります。既存政党による政治が安定を失って、行き場を失った浮動票が増えていきます。

 正規雇用が減る中で就職競争が激化し、大学進学率は上がります。かつての受験戦争とは様相が異なります。家庭が豊かで成績もいい層の競争が上がり、それ以外の中堅以下の学校に行っても将来は知れているので、意欲が下がり勉強をしなくなる層が増えます。親の格差が子どもの世代でも再生産されます。

 子どもに学歴をつけさせるために、収入が必要になります。男性の雇用と賃金が不安定化しているので、専業主婦ではやっていけないので、女性の労働力率が上昇します。男性の賃金が下がって働く女性が増えると、いろんな意味で余裕がなくなり家庭が不安定化するとも言われています。

 失業と非正規は全体に増え、年長者の正規雇用の維持が優先されることなどのためにとくに若者でそれらが増加します。安定した収入が収入が得られないので、親元同居が長期化して、晩婚化と少子化が進みます。正規雇用の親元を離れたら非正規の若者は健康保険にも入れない現実があります。

f:id:rainbowsanda170422:20190207201847j:plain

再帰的近代化

 分断と対立、格差と貧困。政治の右傾化。現代の政治の危機にどう対応すべきかという問いに、本の中でイギリスのアンソニー・ギデンズの「再帰的近代化」の考え方を紹介しています。ギデンズは「左派右派を超えて」「第三の道」などの著作があり、ブレア首相のブレーンを務めています。

 「再帰的近代化」とは、すべてが再帰的(reflexive)になり、作り作られる度合いが高まり、安定性をなくする近代化の形です。一方、「単純な近代化」というのは個体論的な合理主義が成立していた近代化のことを言います。主体(政治権力)が客体または個体(明確に分類できた階層)を把握できる。客体の傾向を分析して、要望の多い政策を行う。しかし、今ではその方法が成り立たない。

 それはなぜか。「単純な近代化」の前提である、「個体」というものが成り立たない。例えば村は一つの個体である。だから村の民意は、選出された議員に代表されるはずだ。労働者階級も一つの個体であるから、こういう政策をやれば満足するはずだ。同様に失業者は、母子家庭は、高齢者は1つの集団として把握し、福祉政策を行えばよい。この前提が成り立っていた時代は、代議制民主主義も、経済政策も福祉政策も機能します。

 かつての日本の工業化社会に当てはめれば、もっと分かりやすいかも知れません。1960年代から80年代の日本では、安定雇用が広がったので、生活様式やライフサイクルが均質化しました。男なら18歳から22歳まで学校へ行き、新卒で就職して、着実に給料が上がり、60歳で引退。女なら24歳までに結婚して、30歳までに2人の子どもを産み、35歳で子育てを終えて、パートに出た後、老いた親を介護する。こういう社会は、きわめて政治や政策がやりやすい。「労働者」「地域」の代表が議員になり、「雇用者」「自営業者」「農民」「主婦」「高齢者」といった分類に対応した政策をとればよかったからです。

 いまやこの分類に当てはめることはできません。ポスト工業化社会で、社会との関係において人々が「自由」になって、選択肢が増大しています。もっと言えば人々が「選択できることを意識するようになった」というのが大きな変化です。

 ここで大事なのは選択可能性の増大は、固定した関係が成り立たないことです。関係性においては相手がいますから、相手も選択可能性の増大の位置にいます。例えば就職活動で見ると、学生は何社もの企業が自由に選べる反面、企業側も同様の自由で学生を自由に選別できます。結果、就職できない若者が増えることになります。学生側が贅沢だという論拠は、選択肢と多様性の増大の時代には意味をなしません。社会がそう動いているのですから。この関係は男女、家族、企業間、政治家と有権者とすべてにあてはまり、相互に変わっていくという意味で不安定性が増します。

再帰性が増大する

 近代的な経済学や政治学などは、主体の行動と選択の自由度が増せば、観測と情報種収に基づいて合理的行動が可能となり、世界は予測可能になって操作できるようになると考えてきました。ところが現実は全然そうなっていない。繰り返しますが、主体の影響(こうだろう作った予測)を受けて客体(その情報を受けて、考え方を作り変える)も変わる。社会で増大しているのは、この「作り作られてくる」度合いです。ギデンズは、これを「再帰性の増大」と呼びました。

 再帰性の増大は、誰にも不安定をもたらしますが、恵まれない人々への打撃が大きくなり明日。かつては貧しい人々は、共同体や家族の相互扶助で、経済的貧しさをある程度カバーしていました。まだ包摂の社会が成り立っていました。あるいは、自分が培った仕事や技術や生き方への誇りで、心理的貧しさを補ったりしていました。

 しかし、再帰性が増大し、選択可能性と他人の視線にさらされると、誇りも揺らいでいきます。そして相互扶助も誇りも失って、無限の選択可能性の中に放り出され、情報収集能力(自分で情報を集めて考え、自分で行動することを要求される)と貨幣なしにはやっていけない状態に追い込まれます。このあたりは現実の日本社会に見られる自己責任論が典型と言えます。

保守主義の逆機能

 いま日本の政治に見られる保守主義(どう見てもファシズムですが)の台頭は、この時代の変化に対応できていません。一億総活躍社会だの、働き方改革だの、地方創生だの言葉だけで、中身は財界主張にそったもので搾取の手段を変えただけです。「女は結婚して家に帰れ」、「今の若者はがまんが足りない」と唱え、カテゴリー化の呪縛に相変わらず固執し、個人は変化し続けるという再帰性の増大を、かけ声で阻止することはできません。「昭和ノスタルジー」の主張もこの類いです。こんな主張の政治家や経営者は特権意識が強く、自身は「自由」に振る舞いながら、相手には「伝統的」な行動を要求します。

 自分たちの振るまいが、相手に影響を与え、余計に再帰性を増大させることが理解できていません。そこには対立が生まれ、逆機能が生まれ社会がより不安定化します。こうした保守主義の典型が、少子化です。少子化は、麻生クンのようなアホボンが言うような低俗な論拠で起こっているのではありません。

 ポスト工業化社会では、日本だけでなく、スペイン、イタリアなど伝統的な性役割にもとづいた価値観や制度の国の方が、少子化が激化する傾向にあります。それは男性の平均賃金が下がり(安倍ボンの名目総雇用者所得で賃金上昇もウソ、実質総雇用者所得はマイナス、森羅万象?に目配せする超能力者にしてはお粗末!統計不正はアベノミクス偽装に利用が真実!!、女性が働きに出ざるを得ないのに、おバカな日本会議やその同調者の保守主義が障害になって対応できないからです。男性は家事をしない、休暇制度も保育園も整備されていない、というのでは、女性は子どもを産まないか、あるいは結婚しません。(再帰性の増大で、当然女性の選択肢も増大する結果です)

 因みに育児支援や休暇制度を活用して仕事をやめなかった女性の方が、専業主婦になった女性より、生涯に産む子どもの数は多いとされています。

対話と公開制

 ではどうするか。万能薬はありません。しかしギデンズの提案は、再帰性を止める(保守主義)のではなく、再帰性には再帰的に対処すべきだと。

 再帰性が増大した社会の問題も、内在的に対処するしかない。具体的には、対話(問答法、弁証法)の促進です。もう「村」とか「労働者」という従来の「われわれ」に、そのままの形で頼ることはできない。ならば対話を通してお互いが変化し、新しい「われわれ」を作るしかないないのです。

 例えば、「私」と「あなた」が対立した場合です。どちらかが悪いと責めるか、妥協するか、お互いに不干渉でいくか、腕力や言葉の暴力を振るうか、という形になってしまいがちです。一方的に理性を行使したり、伝統に依拠したりすれば、事態は益々悪化します。対話によってお互いが変化し、関係を変えれば、新しい「われわれ」を作ることになります。

 こうして作られる関係を、ギデンズは「能動的信頼」と呼んでいます。こちらから働きかけて、信頼を作っていくことを言います。自分が相手に何をできるかを考え、それを実行して相手の信頼を」得ていく。

 政治で言えば、公開と対話がコンセプトになります。代議制民主主義にできるだけ公開と対話を導入し、人々に参加してもらうことです。そうしないと、政治に関心の少ない人が増え、正統性が下がって、政治は不安定になる一方となります。

 現代では、先進国で、地域主催と公聴会がさかんになっています。小さな単位で対話に参加できる仕組みを取り入れ、直接民主主義の活力で代議制民主主義を補完しないと、民主主義そのものが持たなくなってきたからです。集会やデモ、ハンガーストライキもまた、直接民主主義の活力を社会に与えていく方法です。

エンパワーメント

 とは言っても、うまくいかないことも多い。まず対話にのってこない。不慣れで知識もない。一から教えたり、学ばなければならない。

 政治で言えば、公聴会を開いても地元の有力者しかこない。一般参加者を集めても発言してくれない。知識もないからまともな議論にならない。結局いままで通りにやった方が早いし、相手もそれを期待したりする。これは対話すべき主体の力が低くなっているということ。対話に参加してこない理由の一つは、自分はダメだと思っている。力がない、知識がない、慣れていない、できない、だから変えられないとなります。

 それを変えるためには、対話主体を元気づける、力をつけるしかありません。エンパワーメント(力づけ)し、アクティブ化しなければならない。それを助けるのが、政府なり専門家のやるべき新しい役割だと言うことになります。

 例えば家族政策については、知識の普及や相談所の充実です。男女の役割が変わっていることを教育で教える。最低限の家事が誰でもできるように講習する。避妊や育児知識を普及させる。問題が生じた場合にいつでも相談できる場所を用意し、専門の相談員を配置する。

 医療では、医学知識を普及させ、自分で予防できるようにする。あるいは情報を理解して治療法を選択できるようにする。労働政策なら、失業した人、あるいはよりよい就職をしたい人には、職業訓練を行って自力をつけ、職業選択をする力をつける。誰でもキャリアアップできるように、大学をはじめ高等教育はできるだけ無償化する。

 政治なら、トップダウンを避け、情報公開と公聴会などで参加を促す一方、政治についての知識を普及させ、人々の自立能力を高める。また、分権を行って、役割を担わせる。NPOの認可と助成、寄付税制などの仕組みをつくり、自発的活動の活性化を促す。

 地方経済なら、大工場を誘致やそのために補助金中央政府から貰うとかのやり方をやめる。地元にあるものを使って、お金をかけずに小規模でも付加価値の高い産業を起こし、ネットワークを通じて多角的に販売していく。エネルギー分野で言えば、原発のような大規模発電を誘致するのではなく、小規模な再生産可能エネルギー発電を、地元のお金を出し合って協同運営していく、形になるでしょう。

 いま三田市で問題化しているトップダウンでの市民病院の民営化に向けての統合化は、地域医療の核として市民病院が必要という市民の願いを踏みにじるものです。市民病院の必要性は「再帰性の増大」の定義から言えば、経済性だけで結論を出すのは誤っています。選択肢の多様性からも対話と公開性が必要な政治に、真逆のプロセスで政策決定が行われようとしています。病院の統合化問題は三田市民が選び、決めるるという基本を政治が忘れています。主体は市民です。

 先に掲げたことは個々の政策は提唱されたり、部分的に実施されていますが、基本のコンセプトが共有されていません。再帰性の増大した社会では、そういう方向に転換しないと、社会運営が必然的に行き詰まってしまいます。

 安倍政治を変えようとする市民運動は、自発的な集まりです。原発事故以来の運動は、今も全国で継続されています。政治家に任せておけば社会は良くなるなんて思っている人はほぼいないでしょう。安倍首相が政権をとって以来、政治はビジョンもなく、危険な回帰性に終始しています。だからこそ、市民を巻き込んだ運動が必要です。

 著書では「社会を変える」方策や歴史についての言及が多々ありますが、ブログはここまでとします。

PS:反原発運動に見る「社会を変える」可能性

 筆者・小熊英二氏は反原発運動に「社会を変える」可能性を見い出しています。東日本大震災福島第一原発事故を受けての2011年4月の自発的に発生した高円寺反原発デモに筆者も参加しているのですが、その時の感じ取った感覚がベースになっています。その現場には大きな開放感と活力があったと。小熊氏は反原発運動を以下のように表現しています。

 2011年からの脱原発のデモで、多くの人が望んでいたことはおそらく以下のようなことだと思います。

 一つ目は、自分たちの安全を守る気も無い政府が、自分たちを蔑ろにし、既得権を得ている内輪だけで、すべてを決めるのは許せない。

 2つ目は、自分で考え、自分が声を上げられる社会をつくりたい。自分の声がきちんと受け止められ、それによって変わっていく。そんな社会をつくりたい。

 3つ目は、無力感と退屈を、ものを買い、電気を使って紛らわせていくような、そんな沈滞した生活はもうごめんだ。その電気が、一部の人間を肥え太らせ、多くの人の人生を狂わせて行くような、そんなやり方で作られている社会は、もう嫌だ。

 これらは、人間がいつの時代にも抱いている、普遍的な思いです。こうした普遍的な思いと繋がった時に起こる運動は、大きな力を持ちます。それが2011年の日本では、脱原発という形をとった、ということです。

 日本で脱原発がかっこうのテーマであるというのは、そういう意味です。そこから各種の行動や議論がおこり、政府側も対話を重視せざるをえなくなり、人々のいろいろな行動や議論や参加の機運が高まってくれば、それは単に原発やめることに留まらない、「社会を変える」ことになるでしょう。

 デモは誰でも参加できる広場です。何か問題が起きたとき、市庁舎がある広場に集まって声を上げるのは民主主義の本来の姿です。そうした「公」の場では、俗世でその人が誰であるかは問われません。誰がきてもいいし、誰でも平等に遇されます。そこには音楽があり、大声で自分の意見を言ってよく、誰とでも交流ができます。

 これが小熊氏の考え方であり、自発的に発生した2011年以降の反原発運動に市民が起こす社会変革の可能性を見出している理由です。ポスト工業化社会と再帰性の増大で揺らぎ、不安定化する現代社会で、市民が自ら考え行動する運動体こそ重要だとメッセージしています。


f:id:rainbowsanda170422:20190207202152j:plain

f:id:rainbowsanda170422:20190207202220j:plain

 

日本という国を知る

 今年最後ということで「いまの日本って何か変」という自分の中にあるわだかまりが、少しでも解ける本はないかと思い、ネットで探していると「決定版 日本という国」が目に留まり、取り合えず購入して走り読みしてみました。著者は小熊英二氏で、慶応大学の教授で社会学者です。とても興味深い人です。以下ブログはその内容を参考にしています。内容は10代の読者を意識した平易なもので、当方にとっても理解しやすく、多くの示唆に富む一冊でした。特にウソとごまかしが平然と行われる今日の政治に対して、若い人が日本という国の有り様を理解するのに役立つ一冊と思います。

 「世界の真ん中で輝く日本を」なんて臆面も無く言う安倍総理がこの日本の政権を握っています。世界情勢が変わり、日本だけが一人勝ちできる時代はもう来ません。冷戦が終わり、世界がフラット化し、経済発展を追求する時代が訪れて、多々問題はありますが、経済力をつけた市民が豊かさを享受する時代になりました。にもかかわらず、日本のトップが「過去の栄光をもう一度」の発想しか持てないのは、国民にとって最大の不幸です。なぜか、それには明治期から続くアジア諸国を低く見る日本人に刷り込まれた偏見や、戦後のアメリカ一辺倒の関係が強く影響していることをこの本は教えてくれます。

 「決定版 日本という国」は二部構成です。一部は明治からの植民地化されないために強く豊かになろうという近代化と戦争の歩み。二部は敗戦と、日本国憲法日米安保条約に象徴されるアメリカとの変えるべき関係が変えられないという、過去回帰志向の政治体制の歩みです。ブログでは二部の戦後の歩みを紹介していきます。

日本が戦争で受けた傷とアジア諸国の被害

  戦争被害について数字を列挙してみます。因みに数字は文科省の検定通過の教科書のものです。少なくとも国が認めた数字ということになります。
日本の被害●戦闘での軍人と民間人合わせて死者約310万人(沖縄戦死者約15万人※沖縄では県民の4人に1人が死亡、広島と長崎の原爆死者約30万人以上)●約1500万人が空襲などで家屋喪失。これらの被害をもたらした原因は戦争そのものですが、終戦間際の日本軍や政府の上層部の天皇制を守ることや戦犯裁判を日本側で行うことなど、自分たちが助かる事だけを考えて人命軽視の時間浪費で、戦争終結を遅らせたことにも大きな責任があります。もっと言うなら、1945年2月の元首相の近衛文麿の降伏交渉の進言を天皇が拒否したという事実も影響しています。敗戦が明白でありながら降伏を引き延ばした結果、3月の東京大空襲、4月からの沖縄戦、8月の広島・長崎の原爆投下、海外での無意味な戦闘での戦死、ソ連参戦やその結果の朝鮮半島の分、それぞれが無くてすんだ悲劇です。戦争被害は当然、日本人だけが受けた訳ではありません。
アジア諸国の被害(日本が侵略して与えた被害※数字は教科書検定記載のもの)●韓国・北朝鮮死者20万人、しかし強制連行で終戦末期の在日の朝鮮人は約230万人と言われ、劣悪な環境下の重労働で死んだ人や「従軍慰安婦」にされた人も少なくありません。さらに朝鮮と台湾は日本に併合されており、日本人として兵隊に徴兵されたり、軍属にされ、日本軍の一員にされて死亡した人も多くいます。●台湾死者約3万人●中国死者約1000万人●インドネシア死者約200万人●ベトナム死者約200万人●ミャンマー死者約5万人●フィリピン死者約100万人●マレーシア死者約5万人●シンガポール死者約8万人

 先の大戦で亡くなった日本人の数も膨大ですが、驚くのはこの戦争で亡くなったアジア諸国の犠牲者の膨大な数です。そして忘れてはならないのは日本およびアジア諸国にの亡くなった人の背後には、心に痛手をおった多くの遺族が存在するということです。戦争という惨禍は、これ程までに愚かなのに、今日の政権の主の記憶からはそれがそっくり抜け落ちているようで、国難と称して勇ましい言葉で国民を欺き、軍拡に奔る愚かな姿が、かつての時代の指導層の愚かさとダブります。

以下の引用は作家の夢野久作の長男・杉山龍丸氏の回想です。彼は復員事務という、戦争帰還者や戦争行方不明者の問合せの仕事に就いていました。それは問合わせ者に「亡くなった、死んだ、死んだ…」と伝えねばならない辛い仕事だった述べています。その杉山氏のところにある日、小学校二年生の少女が、食糧難で病気になった祖父母の代理として父親の消息を尋ねてきた場面の話です。

f:id:rainbowsanda170422:20190101054809j:plain

憲法は「押しつけ」?実は保守も財界も歓迎 

 敗戦を機にアメリカ占領軍により一連の日本の改革が行われました。 初期の占領政策は、日本の非武装化民主化という意図で進められます。なかでも最大の改革は大日本帝国憲法をいまの日本国憲法に変えたことです。戦争で苦しんだ人々は一応に戦争と戦力放棄をうたった9条を持つ新憲法を歓迎しています。1946年の世論調査では第9条への支持は70%とあります。さらに天皇制存続や資本主義容認の中身もあって保守政治家や財界もけっこう歓迎しています。

 新憲法および特に第9条は「日本の最大の誇り」として捉えられています。文部省から1947年8月に出された「あたらしい憲法のはなし」では、第9条の非武装の理念が生徒に以下のように語られています。「日本は正しいことを、ほかの国よりさきにおこなったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」と。新聞各紙の1947年5月3日の社説も新憲法や9条を評価しています。●日経ー国民に進むべき行く先を教え、世界に偽りもひけめも感じることなく自信をもって内外に示せる●読売ー第9条は敗戦の結果ではなく、積極的な世界政治理想の先駆●毎日ーこれからの日本の国家綱領であり、同時に基本的国民倫理と紹介しています。

アメリカの都合で方針転換、そして再軍備

 しかし、1950年代前後からアメリカの対日政策がソ連との対立で大きく転換することになります。いわゆる東西対立の「冷戦」です。日本を再軍備させて、アジアの西側陣営に組み込む必要性が出てきた訳です。1950年7月マッカーサーの命令で「警察予備隊」が作られます。後に「保安隊」、1954年4月には今の「自衛隊」という名称に変わって行きます。アメリカの方針転換で、東京裁判A級戦犯として裁かれ、それ以外の軍人は公職追放になっていましたが、日本再軍備のために旧軍人将校が必要となり、1950年11月には旧軍人の公職追放解除が始まります。政治家や経済人も同様に釈放されて行きます。1948年12月、東條英機内閣で商工大臣として戦争を遂行したA級戦犯岸信介も釈放されています。「冷戦が悪化すれば首を絞められずにすむ、それがわれわれ(A級戦犯)の頼みの綱であった」と岸自身も回想しています。

サンフランシスコ講和条約と日本の安上がりの賠償

 講和条約は一義的には日本が主権を回復し、戦争状態の国と国交を回復し、占領状態が終了したと理解されているように思います。ただこの講和会議は1950年6月勃発の朝鮮戦争まっただ中の1951年9月に開催されています。講和条約と同時に「日米安保条約」も締結します。朝鮮戦争当時、日本は補給や修理のための後方基地であると同時に、国内にあるアメリカ軍基地が自由に使えることは戦略上の重要な意味を持っていました。占領が終結してもアメリカが日本に居残る必要性から、名目は日本の安全保障のためということで、これらの条約が急ぎ結ばれたという意味合いが大きいと言えます。さらに1952年2月には不平等条約の典型の「日米行政協定」(後に「日米地位協定」と名称変更)を結びます。

 この「日米行政協定」は米軍人の犯罪に対し、日本側に警察権も裁判権もありません。また、米軍の駐留費用は日本も分担することになっています。「日米安保条約」では米軍基地の使用に期限や制限もありません。まさに日本の主権が侵害されているわけですが、この状況は今も何ら変わることはありません。至れり尽くせりの米軍駐留はアメリカ側には願ってもないおいしいものであり、駐留費用負担は今も「思いやり予算」として大きな額を予算の中に占めています。参考までに2019年度の予算案と安倍政権の日米地位協定への認識を示す国会答弁の記録をリンクしておきます。首相、外相にして不平等条約の「地位協定」改定へのアメリカ忖度の消極性と、基地の加重負担にあえぐ沖縄県民の苦痛への無自覚さがよく出ています。

シリーズ検証 日米地位協定/在日米軍関係経費 初の8000億円台/膨らむ「辺野古」

https://note.mu/jun21101016/n/nd811229c4a20

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/341724

 この講和条約で日本本土は占領状態が終わることになりますが、沖縄は切り離され、アメリカ軍の占領統治状態が続くことになります。アメリカは軍事基地としての沖縄の重要性から占領状態に固執したわけです。占領状態におくことで、やりたい放題ができるという訳です。当然、日本の政府もそれに同意しています。沖縄の本土復帰は、1972年5月15日まで待たねばなりません。

 一方、当時の吉田茂首相は極東米軍のクラーク司令官と口頭で密約を交わしています。日本の軍事力は有事の際は、アメリカ軍の指揮下に入ることの合意です。いわゆる「指揮権密約」です。この事実はアメリカの公文書にはっきり残っており、獨協大学名誉教授の古関彰一氏が発掘し、1981年5月22日号と29日号の『朝日ジャーナル』で大スクープとして記事になっています。この「指揮権密約」は政府は認めませんが、今も生きています。

 少し話が現代に飛びますが、「指揮権密約」は重要なことなので押さえて置きます。2015年以来、急速に整備されつつある安保関連法と安倍9条改憲の先には「完全にアメリカに従属し、戦争が必要と米軍司令部が判断したら、世界中でその指揮下に入って戦う自衛隊」ということが現実になるということです。安倍首相がどこまで地位協定や外務官僚が牛耳る合同委員会の中身を理解しているかは、ウソが平気な官僚ですから、甚だ疑問ですが。改憲の真実はアメリカの言いなりになる自衛隊憲法に書き込むということに尽きます。改憲アメリカの強い要望によるもので、冷戦以来、アメリカの要求は一貫しています。唯々諾々、アメリカンファーストの安倍首相の軽々しい判断は、日本を危うくすることにつながります。

 話を戻します。駐留経費を負担し、沖縄を本土復帰の見返りに占領状態のままにし、沖縄の米軍基地を自由に使えるものにし、主権にかかわる「指揮権密約」まで差し出した日本に対して、アメリカは有利な条件を講和条約に盛り込みます。それは日本の侵略で被害を受けた国に対して、賠償請求権を放棄させるというものでした。講和条約第14条にその内容があります。賠償請求権放棄は、アメリカにとっても使い勝手の良い日本を戦後復興させるためにも必要でした。経済発展させ工業国として利用し、再軍備させ、西側陣営に留めることが戦略上、重要だったわけです。当然、こうしたアメリカの講和条件は不評で連合国側の反発を買います。ソ連ポーランドチェコスロバキアは調印拒否。インドネシアビルマ(現在ミャンマー)は会議欠席。北朝鮮、韓国、中国は、会議に招待さえされませんでした。

 賠償請求権放棄という評判の悪い条件を、アメリカの根回しと圧力のお陰で大半の国に認めてもらうというこに日本は成功します。因みに正式に日本が賠償したのは、ビルマインドネシア、フィリピン、南ベトナムの四ヶ国だけです。韓国や中国には経済援助や技術協力の形で賠償問題を解決してもらっています。こうして日本は、アメリカの後ろ盾を活用しながら、アジアへの戦後賠償を軽くすませ、あるいは経済進出の足がかりにして、経済成長を成し遂げたというのが事実です。

 政府が「賠償問題は外交的に解決済み」という紋切り型の説明では、戦争被害を被ったアジアの人々には、とても納得がいくものではありません。事実、賠償金が当時の政府によって勝手に流用され、個人に支払われていないことも多々ありました。国家間の賠償問題は外交的に解決済みでも、個人の賠償請求権は生きている論法が、やはり正しいといえると思います。何故ならこの論法を日本政府も、ソ連の日本人のシベリア抑留の賠償問題で堂々と使用しています。二枚舌ですね。1991年になって日本政府は1956年の請求権放棄は国家間のもので、「国民個人からの請求権まで放棄したのではない」と正式にコメントしています。

これからの日本を考える時に来ている

 今の安倍政治は屈折したナショナリズムで成立しています。無理な要求をするアメリカに内心不満でも、その要求を承諾する。そのフラストレーションの状況に「日本の誇りをとりもどす」というナショナリズムを持ち出すやり方は、およそ賢明とは言えません。彼らは靖国参拝を繰り返し、歴史教科書を書き直し、侵略は無かったと言いはる。さらには、アメリカから押しつけられたとして自主憲法を作り、第9条を改正して、自衛隊を海外派遣できるようにするなどです。

 これでは、アジア諸国との関係はますます冷え込むばかりです。アジアの国からは、自分より強い相手(アメリカ)には文句が言えないから、弱そうな相手(アジア)に八つ当たりしてとしか見えないでしょう。保守政権のこの外交のスタンスでは、何も良い方向には変わりません。安倍政権になってこの悪循環のナショナリズム・スパイラルが加速しています。本来一方的な関係を正す相手は、アメリカのはずですから。

ブエノスアイレスで2018年11月30日に開かれた日米首脳会談では、トランプ米大統領が「日本はF35など大量の戦闘機を買ってくれており、われわれはそれを高く評価している」と謝意を表明。英語も理解できない安倍首相、上から目線のトランプ大統領。この構図自体が戦後のアメリカとの卑屈な関係の象徴のように思われます。

 まとめです。戦後の日本は、アメリカの方針に従いながら、アジアへの戦後賠償あるいは補償を安上がりにすませて経済成長してきました。アメリカ軍に基地を提供し、自衛隊を作って、アメリカのいうままに海外派遣を行うまでになりました。

 日本の戦後から現在までの在り方は、大雑把に言えばアメリカとの関係さえ良くして行けば、アジア諸国との関係は何とかなる。つまりアジア諸国との関係がマズくなればアメリカが何とかしてくれるという、近隣諸国のアジア軽視の、どこまで言ってもアメリカ頼みの、主権国家としての主体性なき政治だと言ってもいいでしょう。

 安倍政治にはアメリカとの従属的な関係を少しでも変えようとする、戦略も意志もありません。現状のまま、なしくずしに行くことを選択しているように思われます。アメリカの世界戦略に合わせて基地を提供し、自衛隊を拡充してくやり方です。しかし、このやり方では沖縄の負担は減ることはことはありません。「辺野古移転が唯一の選択肢」は詭弁です。沖縄に基地を集中させるかわりに、政府が公共投資で沖縄の不満をそらす。しかし、政府の財政赤字も増え続ける中で、沖縄に予算を潤沢に振り向けることもできなくなっています。このままでは行く付く先は見えています。沖縄に苦痛を押し付けるやり方では、もう沖縄が持ちません。

 安倍首相がよく口にする「戦後レジームからの脱却」は、皮肉にも現実は真逆の固定化の道にばく進しています。もともと言葉の定義も、その背景も理解できているとは思えない安倍首相ですから。ただ単にカッコよく言っているつもりなのでしょう。

 日本が取り得る選択肢は明白です。アメリカとの関係を見直し、アジア諸国、特に中国、韓国との新しい協調関係構築に踏み出す新しい政治が必要です。現在、沖縄の辺野古の是非を問う県民投票に一部の自治体が不参加を表明していますが、これこそ愚の骨頂だと思います。市民が基地の問題を主体的に意思表明する機会を奪う行為であり、県民投票はアメリカとの従属の関係を見直す一歩であり、本土の世論喚起で、アメリカとの関係の在り方の問う重要な機会であるはずです。市民が、国民が、政治を変えていくという政治参加の必要性が、今ほど必要とされている時はないでしょう。

f:id:rainbowsanda170422:20190102104121j:plain

虹の会さんだニュース12月号

f:id:rainbowsanda170422:20190102104206j:plain

市民の常識が通用しない政治の変質と改憲

安倍政権下での改憲論議の無意味さ

 自民党自衛隊の存在明記など4項目の憲法改正について、今の臨時国会での条文案提示を断念(11/28)。憲法審査会が自民党憲法改正推進本部の下村本部長の「野党は職場放棄」発言で、野党出席で開催できないことが背景にあるとメディアは伝えています。一見野党に配慮のように見えますが、悪法スカスカの財界要望の「入管法改正法案」を成立させたいがため。来年の通常国会でまた改憲を提案してくるのでしょう。

 野党が改憲のテーブルに着くことは、明らかに安倍自民を利することになります。また話し合いを拒否すれば政権与党はそれをネタにメディアを通じて野党批判を展開するでしょうし、ジレンマです。本来は話し合いは行われるべきですが、かみ合わない一方的な答弁終始の与党側では、話し合いの前提が崩れてしまっているのが現状です。これまでの安倍政権の一貫した数でのゴリ押しによる法案採決の手法は、改憲でも使われることは明らかです。安倍政権での国会の論議はまともな答弁を一切行わず、単に国会を法案を通すための手続き上の一機関と位置づけ、論戦の中身などはどうでもいいと言う姿勢に終始しています。民主主義的手法で法案は成立したという汚いアリバイ作りに過ぎず、立法府である国会の使命を意図的に形骸化させています。

 この状況の中で最大の問題は、主権者である国民の批判や疑問の声が大きくならないことです。その典型が今回の外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法改定案の衆院本会議での強行採決。安倍政権の国会軽視が眼前でまたもや行われました。この強行採決東京新聞の望月記者が可笑しいのではないかと菅官房長官に疑問をぶっつけますが、菅官房長官の対応は高圧的かつ横柄で、質問の揚げ足取りで真面に質問に答えません。見ていて本当に不愉快になりますが、この光景は繰り返され続けています。さらに他の官邸記者連中の無抵抗の姿勢にも、今この国に起こっている統治機構の崩壊や主権者の感性の鈍化が、甚だしく進んでいることが窺えます。だから菅官房長官が、平然と国民に向かって侮辱的な開き直りができるのでしょう。

改憲の背景にある日米軍事一体化と突出する防衛費

 集団的自衛権の行使を可能とした安全保障関連法の施行から2年7ヶ月。この間、自衛隊の新任務や能力の高い武器の拡大を通じ、日米の軍事的一体化と憲法9条に基づく「専守防衛」を逸脱する動きが進んでいます。北朝鮮が核・ミサイル開発を進めてきたことを理由に、安倍首相は「従来の延長線上ではない」防衛政策を提唱し、この傾向を一層推し進めています。

 安保法の新任務が初めて付与されたのは施行約半年後の16年11月で、南スーダン国連平和維持活動(PKO)に参加していた陸上自衛隊部隊への「駆け付け警護」。が、この時は現地の治安悪化で実施されず、自衛隊は撤退しました。

 新任務が初めて実施されたのは17年5月。海上自衛隊のヘリコプター搭載型護衛艦「いずも」が、日本近海で米補給艦に「武器等防護」を行ったものです。海自艦とわかれた米補給艦は、北朝鮮をけん制するため日本海に展開していた米空母艦隊に燃料を補給したとみられています。昨年後半には、航空自衛隊も日本周辺に飛来した米空軍の爆撃機に武器等防護を実施しました。

 武器等防護は有事ではないが情勢が緊張しているグレーゾーン事態に、自衛隊が米艦艇や航空機を警護する任務。第三国が米軍の活動を妨害した場合、武器を使って阻止でき、武力衝突に発展する危険もはらむものです。

 海自艦は昨年6月ごろ、安保法で新たに可能となった弾道ミサイル発射警戒中の米イージス艦への給油も日本海で実施。日米の任務一体化が進んでいます。

 自衛隊が新たに導入する武器も日米一体化の流れを反映しつつある。18年度予算には空自の最新鋭ステルスF35A戦闘機に搭載する「敵基地攻撃」も可能な射程500キロの巡航ミサイルの関連費用を盛り込まれました。射程は国内から北朝鮮本土に届き、専守防衛を逸脱していることは明らかです。

 今年末に改定する防衛力整備の指針「防衛計画の大綱」では、護衛艦「いずも」を戦闘機の発着が可能な空母に改修する計画も検討されています。改修後は、日米両国の戦闘機が共同運用する案も取り沙汰されています。艦載機には短距離離陸・垂直着陸が可能な米国製のステルス戦闘機F35Bを検討。敵国を攻撃できうる能力を備え、専守防衛を超えると指摘されています。

 一方、防衛費でも第2次安倍政権の誕生以来、13年から連続して前年度を上回っています。19年度の概算要求では5兆2,986億円となり、増大に歯止めがかかりません。総額もさることながら、問題は予算の中身です。トランプ大統領の言うままに、積極的に米国の高額兵器を購入し続けています。

f:id:rainbowsanda170422:20181203074654j:plain

 典型が地上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の購入です。費用は取得費と30年間の維持費を含め、防衛省が2基で約4,500億円と公表しています。ただ、システムを格納する建屋や迎撃ミサイルの費用は含まておらず、さらに、搭載するレーダーを巡り「高額の射撃試験が必要になる」との指摘もあります。今後、ミサイル費用を含めると総額で6,000億円を超す可能性もあります。

 安倍政権が「イージス・アショア」の配備候補地に挙げるのは、陸自の新屋演習場(秋田市)とむつみ演習場(山口県萩市、阿武町)。ともに安倍首相と菅官房長官の出身地とは皮肉ですが…。北朝鮮から秋田、山口に向かう延長線上には、それぞれ米軍基地のあるハワイとグアムが位置します。つまり米国の防衛を実質、日本が担うことになるわけで、防衛省もその可能性を否定していませし、ハリー・ハリス米太平洋軍司令官(当時)も米連邦議会で同様の証言をしています。東京新聞 2018年11月16日 朝刊)

 安保法での新任務や米国製高額武器購入で日米の軍事一体化は、このまま進めば日本が米国の防衛の一翼を担わされることになり、日本が軍事衝突に巻き込まれる危険性や財政的負担が深刻になることを意味しています。

トランプ盲従で高額武器調達に不利なFMS契約を多用

 東京新聞で〈税を追う〉という企画をシリーズで掲載しています。以下その内容を要約してお伝えします。2019年度予算の防衛費の概算要求額が5年連続で過去最大を更新しましたが、その最大要因はFMS(対外有償軍事援助)による高額な武器購入にあります。購入費は安倍政権下で高止まりが続き、今回さらに跳ね上がっています。安倍首相の米国従属外交で今後もトランプ大統領の要求で、さらに増える懸念が充分あります。FMS(Foreign Military Sales)では、日本が米政府から武器を直接調達する際に多く適用される制度ですが、米政府は契約価格や納入期限に拘束されず、一方的な変更が可能で、不透明な価格高騰などの問題が指摘されています。代表例は米国製の地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」や輸送機オスプレイ、F35Aステルス戦闘機、早期警戒機E2Dなどの購入ですが、米国が求めるままの爆買いに他なりません。

 FMS契約はローンです。この契約は民主党政権下でもありましたが、安倍政権で激増しています。19年度は支払時期を迎えた「歳出化経費」が2兆708億円となり、総額の4割を占め、人件・糧食費の2兆1,908億円と合わせると、要求額の8割が固定的な経費で占められるところまできています。

 こんな中、装備品支払の延期を防衛省が国内企業に要請していることが報じられました。防衛省が11月初め、国内の防衛関連企業62社に対し、19年度に納品を受ける防衛装備品代金の支払いを2~4年延期してほしいと要請していました。高額な米国製兵器の輸入拡大で「後年度負担」と呼ばれる兵器ローンの支払いが急増。国内企業に「返済猶予」を求めるという異例の事態となっています。安倍政権で米政府を窓口にしたFMSによる兵器の輸入が進み、毎年返済額を超える新たな兵器ローンが発生。今回の支払い延期要請につながったとみられます。防衛省は追加発注で、返済先送りではないとしていますが、どうみても返済延期です。

f:id:rainbowsanda170422:20181203120401j:plain

米製兵器維持費2兆7,000億円、FMSの代償は将来も続く

 防衛省が米国政府のFMS(対外有償軍事援助)を利用して導入、あるいは導入を予定している戦闘機「F35A」など5種の兵器だけで、廃棄までの20~30年間の維持整備費が何と2兆7千億円を超えることが同省の試算で判明しました。同省は19年度のFMSによる維持整備費に1,075億円を見込んでいるが、F35Aなどの本格的な配備はこれからで、将来的に年間の維持整備費が大幅に増え、防衛予算を圧迫していきます。

 日本などの同盟国がFMSを利用して米国から兵器を購入する際、米国政府は最新技術の流出を避けるため、秘匿性が高い部分の修理整備はFMSに基づき、製造元の米国メーカーが行うことを求めています。購入国は兵器を廃棄するまで、維持整備費を米国政府に払い続けることになります。

 防衛省の試算によると、42機導入するF35Aの場合、機体の購入費(計5,965億円)に加え、米国政府などに支払う維持整備費に30年間で約1兆2,800億円を見込んでいます。このほか購入費が高い▶輸送機オスプレイ(17機)▶無人警戒機グローバルホーク(3機)▶早期警戒機E2D(6機)▶地上配備型迎撃システム・イージス・アショア(2基)は、20~30年間の維持整備費計約1兆4,300億円がかかると言われています。既に配備されているのはF35Aの9機だけで、配備が進むごとに維持整備費は大きく膨らむ。

 日本側が維持整備の一部を請け負う場合もありますが、米国から兵器を導入すると整備や技術指導を担う米国の技術者らが日本に滞在することになり、その渡航費や人件費は日本側が「技術支援費」として支払います。米国から取り寄せる部品も高額なため、輸入兵器の維持整備費は、国内で調達するより割高にります。

 そんな折り、安倍政権はF35A戦闘機をさらに100機追加購入する意向というニュースが流れ、おまけに確定でもないこのニュースにトランプ大統領が謝意を表したというバカなおまけも付きました。安倍首相は『敵にやられっぱなしで、日本が守るしかないでは良くない。攻撃的な技術をやった方がいい』という考えだと言われ、それが専守防衛を超えた攻撃型兵器購入に邁進させており、日本の平和にとって首相の独断専行は極めて無謀で危険です。

f:id:rainbowsanda170422:20181203124245j:plain

 

憲法改悪の安倍政治で問われる市民の力量

 ここ数年で長年にわたって維持されてきた政治的な前提(戦争は二度としない、憲法9条を守る、民主主義の大切さなど)が次々と覆され、日本の政治の様相が一変してきたことを私たち市民は目撃してきました。それは2014年の安倍政権による集団的自衛権閣議決定という、憲法違反の解釈改憲を行った事実からはじまります。特定秘密保護法、安全保障関連法、共謀罪法が立て続けに成立し、憲法はこの変質した政治に翻弄されてきました。これまで曲折はありながらもバランスのとれた常識で市民(意識、無意識は関係なく)が守ってきた憲法を、変質した政治がいとも簡単に乗り越えていく光景でした。

 一方で政治がこれほど異様に変質・劣化しているのに、社会に暮らす私たち市民の意識はこの変化のスピードについて行っていません。その証拠に安倍政権の支持率は高止まりしています。あるいは諦めの層が増えているのも気がかりです。この状況はすこぶる危機的です。

 ブログ冒頭で安倍政権の改憲論議にのる必要なしと述べたの理由はもう一つ。それは戦後70年の歴史の中で、9条の存在が日本の平和を守ってきたという市民の確固としたアイデンティティがあるという事実です。戦争の災禍を日本国民は誰もが知っています。その歴史的事実を軽視して、日本の進路の歴史的転換になるはずの改憲がいかにもフワッとして軽い。安倍首相の個人的な野心のために、変えることが目的化した憲法論議は意味がないということです。自身が憲法を軽んじ破っておきながら、図々しく改憲を唱えるなどありえない振る舞いです。さらに政権与党の政治家のレベルの低劣さも含めて、この「たがが外れた」政権と真面な論議ができるとは到底思えません。

 9条に自衛隊を明記するだけというウソは明白。軍事優先の米国追随の政治の証拠は、膨張する防衛費を見ても明らかです。安倍政権に国民の暮らしや平和を守る意識などあろう筈がありません。

 政治が憲法に従ってなされるという立憲主義は、統治に関わる機関の協同なしには確保されません。内閣の権限行使が適正であることを、国会や裁判所が適切にコントロールしなければなりません。そのためには私たち市民の支えが必要です。立憲主義や民主主義を守り、育てるのは市民です。「憲法の危機」の今こそ市民の力量が問われています。諦めることなく、政治に関わっていく覚悟が必要です。安倍政治を終わりにするために私たち市民は選挙で野党共闘候補を応援し、与党を少数に追いやることが必要です。一緒に頑張りましょう!

※上記の内容は憲法学者学習院大学教授の青井未帆氏の論考を参考に、つたない筆者なりの理解力でまとめたものです。参考にしたWEBをリンクしておきます。

 

https://s3-us-west-2.amazonaws.com/jnpc-prd-public-oregon/files/2018/07/47a19241-130b-4e64-9295-30bf23927d6f.pdf

f:id:rainbowsanda170422:20181203220430j:plain

f:id:rainbowsanda170422:20181203220459j:plain

  

改憲の理由は、根拠希薄で情緒論ばかり

 のっけから恐縮ですが、これは第一安倍政権で政権を放棄した直後の安倍氏憲法改正の持論を述べる動画です。BS11制作で番組名は「未来ビジョン 元気出せ!ニッポン!」の2011年9月3日の日付けがあります。〈*いわゆる安倍応援勢力です。既にこの番組は終了しています。〉全編に安倍氏の軽薄さが露骨に出ています。この手の勢力の動画公開の意図に反して、現在権力の座にある安倍首相という人格に、決して憲法改正をさせてはならないと思える、最上級の判断材料だと言えます。

 改憲の理由は以下3点、❶GHQ押し付け❷古い❸自主憲法制定ですが、わざわざ分類するほどでも無し。特に❶に付いてはGHQが勝手に作ったという一方的な解釈に基づいており、主張は極めて雑ぱくです。❷については、それがどうしたと言いたくなる理由です。個別の内容にも以下のように言及しています。

 動画中では9条の2項削除(戦力不保持と交戦権否認)を明確に言っています。ですから安倍首相が現在言っている2項そのままの本音は、いずれきっぱり削除ということになるのでしょう。ウソを付くのはこの人格の常ですから。

 「集団的自衛権」も行使できるようにすると、はっきりと述べています。その主張もちゃちなケンカの例えで正当化しており、米国の戦争に加担し、海外での武力行使自衛隊員を危険に晒すリスクなど一切コメントなしで、隊員は命をかけるの…くだりで同情論の喚起。さらに最大の問題の「緊急事態条項」創設も東日本大震災を例にその必要性を説いていますが、民主主義を破壊し、基本的人権を奪い、戦争ができる国にする安倍独裁の企みは隠したままの狡猾さは健在です。

 歴史認識(彼らがいう自虐史観)も時の権力者が押し付けてはならないと言いながら、安倍政権の露骨な教育行政介入やメディアへの圧力が堂々と行われているのが現実です。日本の侵略戦争を美化する歴史修正主義がまかり通っています。

 北朝鮮拉致問題も喋っていますが、9条があるから北朝鮮に対して、拉致被害者を取り戻せない主旨のことも唐突に述べています。全員救出と言った安倍首相本人が何もしてこなかったことの方が、問題だと思うのですが。政権維持のために北朝鮮問題を利用して国民を欺いているのは安倍首相自身です。

 このインタビューで許せないのは、憲法の前文を例に出して、現憲法は他国に平和と安全をお願いしているとして「いじましい」と笑いながら説明。度しがたい軽薄な人格です。

www.youtube.com

文化の日が明治の日に変える狙いは、国家主義への回帰

 政府は明治改元から150年となる10月23日に「明治150年記念式典」を開催しています。安倍首相は式辞で「明治の人々が勇気と英断、たゆまぬ努力、奮闘によって、世界に向けて大きく胸を開き、新しい時代の扉を開けた」などと述べ、手放しで明治時代を賞賛し、負の側面(朝鮮半島の植民地化し、中国、アジア太平洋にと戦争を遂行)には全く触れていません。明治に国の成立の規範を求める一方的で異常な歴史観は、敗戦で苦難を知られながら平和憲法のもと、国民が現在の社会を築いたことを無視しており、馬鹿げています。

 公然と安倍首相が異常な歴史観を述べる背景には、改憲右翼団体日本会議」などの極右勢力によって安倍政権が構成され、支えられていることがあります。「明治150年記念式典」には天皇、皇后両陛下は出席しておらず、共産党自由党社民党も同様です。

 150年式典から日を開けずして、29日には「文化の日」を「明治の日」にしようとする右派勢力の「明治の日推進協議会」(祝日改正を狙い、主張は明治時代を振り返ることを通じて国民としてなすべきことを考える契機にすべきとするもの)が、マスコミ排除で衆議院第二議員会館で集会を行っています。出席者は稲田朋美氏、杉田水脈氏、衛藤晟一氏、赤池誠章氏らの極右・安倍ヨイショの議員に、日本会議の看板・桜井よしこ氏ら。国会で聖徳太子を持ち出し、失笑を買った稲田氏は、以前のこの団体の会議で以下の様に述べています。

神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるというのが明治維新の精神だった。その精神を取り戻すべく、心を一つに頑張りたい」と。古事記や日本書記に出てくる人物ですが、その存在さえも疑わしいものを持ち出す神経は、何をか言わんやです。

 明治は大日本帝国憲法のもと、国民は臣民であり、天皇への絶対的服従が課せられた時代であり、国民主権基本的人権が保障されているわけではなく、国家が主体で国民は支配の対象でしかありません。その時代を礼賛する安倍首相と極右支持勢力が目論むのは戦前回帰の国家主義の体制です。バカな誇大妄想ですが、権力主体が安倍政権である限り、少しも油断できません。

▲既に内閣官房「明治150年」関連施策推進室が旗振り役で、明治時代の美化が行われています。

同調圧力が蔓延する危険な内向き日本

 今日の日本社会に度々出てくる「国益を損なう」という言葉は、何か相手を非難する時に使われる訳ですが、そこには強い同調圧力が働きます。一方で非難される側の少数派や異質なものの排除が進んでいます。安倍政権下で極右の政治家たちが多用した言葉はネット社会で拡散し、今や現実の日常まで侵食してきています。

 武装勢力から解放された安田純平さんへの残念な理由なきバッシング、自己責任、謝罪の大合唱は、内向きな同調圧力の強い日本社会の危険さの象徴です。今やメディアがその同調圧力の世論醸成に加担しており、「政治的な話題は口にしない」という空気を世の中に作り出しています。この傾向は繰り返されることで、意識に刷り込まれ、安倍政権の思惑通りの一部世論の右傾化を増長させています。

 様々な場面で国益とか、国家とか、ナショナリズムと言う言葉が溢れ、教育や報道というパブリックなものまで国側の論理に今や組み込まれています。裏でこっそり行われてきたそのプロセスは、安倍政権になって非常にあからさまです。さらにこの風潮に対して、国民の側にも政権側の危険な論理に追随する層が明らかに増大(特にネット社会)しており、国民間の対立を煽ることにも繋がっています。

今、日本にとって憲法改正が最優先課題か

 トップで述べた安倍氏改憲インタビューで、日本のビジョンをアジアに、世界に示すことが大事だと述べていますが、中身は9条ほかの憲法改正で軍隊を堂々と持ち、戦争ができる国にすること。米国が勝手に行った戦争に集団的自衛権のもと、その戦争に加担することなどを挙げ、そのために押し付けではない自主憲法制定こそがビジョンだと言っています。さらにそれが決まり文句の「戦後レジームからの脱却」に繋がると述べています。

 安倍氏の言うものはビジョンでも何でもなく、アジアや世界に対して「軍隊を持っていつでも戦争をするぞ!」と宣言しているだけで、侵略し被害を受けたアジア諸国には脅威でしかありません。アジアや世界が直面する課題解決や将来像を提示してこそ、ビジョンと言えるもので、安倍氏の理屈は過去に逆戻りする〝戦前回帰の国家主義〟でしかなく、政治が今なすべき事とは到底思えません。

 日本の少子高齢化の課題は深刻です。時間的猶予はそれ程ないはずです。単純な拡大成長論は答えにはならず、低成長の前提で持続可能な社会のあり方を政治がリーダーシップをとって社会に問いかけて行くべで。ですが、目前の安倍政権は国民疲弊を進めることに邁進する戦後最悪の政権です。データの裏付けの通り、日本社会は分断化と貧困の増大で深く傷ついています。自慢のアベノミクスの成果は庶民には無関係。円安、見せかけの実態なき官製相場の株高は、大企業と富裕層にのみ恩恵があるだけで、歪な日銀依存の株価維持や大量の国債購入は、価格下落で経済破綻のリスクを抱えており、破綻すれば最大の被害者は庶民です。

f:id:rainbowsanda170422:20181109135410j:plain

出典:2016年6月3日赤旗より

 以下、長い引用になりますが、元駐日英国大使のヒュー・コルタッチ氏のJapan Timesの2016年2月1日の記事を掲載します。時世と一致しない内容がありますが、論旨は的を射ています。日本語訳文は内田樹の研究室より。

安倍の優先順位間違い。ヒュー・コルタッチ

安倍首相は日本をもういちど「普通の国」にしたいと繰り返し発言している。しかし、海外の日本観察者たちは別に日本を異常な国だとは見なしていない。すべての国は固有の歴史と伝統を持っており、過去に起きたことを抹消することも改変することもできないのである。

これまでも多くの指導者たちが歴史を書き換えようと企てて来た。しかし、その歴史的事実の解釈は、ひとにぎりの追随者たちを生み出すことはできても、長期的には失敗を宿命づけられた。擁護者たちがどう言い繕おうと、ヨセフ・スターリン毛沢東のような邪悪な専制者の犯した罪は記録から抹消することはできないのである。

英国の奴隷貿易への関与はわが国の歴史の汚点である。後世の英国人が貿易を停止しようと努力したことは汚れをいくぶんかは落としたが、汚れを完全に消すことはできなかった。

日本を「普通の国」にするために安倍は戦後できた憲法を改定することが必要だと考えている。彼が九条の改訂だけで満足するつもりなのか、それとも他の条項、例えば天皇の地位についての変更まで試みるつもりなのかは、まだわからない。いずれにせよ「平和」憲法の改定は論争の的となるであろう。とりわけ時代遅れの神話や人権の軽視を含意する動きは激烈な反対を引き起こすはずである。

もし絶好のタイミングで選挙を行い、公明党の後援を得ることができれば、安倍は国民投票の発議に必要な国会議員の3分の2を達成する可能性がある。しかし、改憲についての国民的な支援を得られるであろうか?

英国人であるわれわれは国民投票というのがかなりの程度まで偶然に左右されるものであり、現代民主制を不安定にしかねない要素であることを知っている。
スコットランド独立をめぐる国民投票では、連合派の楽観とスコットランドナショナリストに対する大衆的支援の高まりによってあやうく独立派が勝つところだった。
国民投票は問題を解決しない。デヴィッド・キャメロン首相が不幸にも約束した国民投票も、英国のEU加盟という問題に恒久的な解決をもたらすことはないだろう。

日本における改憲についての国民投票はつよい情動的反応を引き起こすはずである。デモやカウンターデモが繰り返され、それが市民たちの衝突と社会不安を結果する可能性が高い。日本経済はそれによって影響をこうむり、国民は疲弊するだろう。アジアにおける安定的で平和なデモクラシーの国という日本のイメージが傷つけられることは避けられない。

改憲に対する中国と韓国の反応は敵対的なものになるだろう。日本の中国への投資はその影響を受けるし、対日貿易は悪化し、在留日本人の生活は脅かされることになる。
日本における改憲が実は何を意味するのかについては、アジア諸国でも、ヨーロッパでも、北米でも、問いが提起されるだろう。特にそれが日本のナショナリズムと領土回復主義のよみがえりではないかという不安は広まり、この不安は日本の歴史修正主義によってさらに強化されることになる。

安倍はこのような現実的なリスクに直面しながらも、なお改憲を押し進めることが最優先の課題だと本気で信じているのだろうか? 憲法文言の変更が彼の抱いている日本のヴィジョンにとって死活的に重要だということなのだろうか? 現在の日本が直面しているはるかに重要な課題が他にはないということなのだろうか?

彼の掲げた「三本の矢」にもかかわらず、経済は依然としてデフレと停滞から浮かび上がることができずにいる。経済の再構築と最活性化こそが第一の政治課題でなければならない。

日本は人口問題の危機に直面している。人口は高齢化し、かつ減少している。労働人口比率のこの減少は日本の成長と将来の繁栄にとって深刻な問題である。人口減から生じる経済社会的脅威をどう抑制するか、そのことの方が、瑕疵があると批判されてはいるけれど、現に70年近くにわたって日本の繁栄に資してきた憲法の条文をいじり回すことよりもはるかに重要なことではないのか。

2016年には日本が直面しなければならない大きな政治課題がいくつもある。
中国経済は年初から好材料がない。中国政府が経済を成長軌道に再び載せる手だてを持っているのかどうかはまったく不透明である。習近平主席は汚職摘発と分離派への弾圧を同時的に行っている。中国政府はこのような時期に日本から仮想的ではあれ脅威がもたらされるということになれば、それを利用して、国内のナショナリズムを煽り、中国の国内問題から国民の目を逸らそうとするだろう。

2016年はアメリカ大統領選挙の年である。日本政府はこれまで伝統的に共和党びいきであった。それは貿易問題において共和党の方がより信頼できたからである。しかし、もし共和党の大統領候補が予備選挙で勝ち、ポピュリストの支援を得て次期大統領になったら、かつてマイク・マンスフィールドが絶賛した日米関係はどうなるか?
トランプ大統領あるいはクルーズ大統領の思想はすべての海外のアメリカ観察者に激震を走らせるに違いない。日本政府の移民政策などはドナルド・トランプのそれに比べればはるかにリベラルである。そんなことより日本にとって重要なのは、トランプは日本が日本防衛に要するアメリカの全コストを負担することを要求している点である。トランプ大統領の命令下にアメリカチームが要求してくるこれらのコストをめぐる交渉の困難さに比べれば、普天間基地問題などものの数ではない。

英国もヨーロッパも過激な共和党大統領候補者のうちの誰かが指名を獲得し大統領になった場合に起こる諸問題に今から頭を悩ませている。しかし、他国だって苦しいのだということは日本にとっての慰めにはならない。とりあえず、英国は「憲法」改定問題というようなことに心を煩わせることがない。明文憲法がないのだから当然である。英国の「憲法」は議会によって何世紀にもわたって積み上げられてきた法律と先行事例の蓄積のことである。

日本はなぜ今そんなことのために時間と努力を浪費するのか? なぜ日本はこれほど多くの問題を抱えているにもかかわらず、それを後回しにするというリスクを冒すのか? 安倍は想像上の過去の中に暮らしているのだろうか? 
日本は英国と同じように、21世紀の世界の中で、その国力の漸減という状況と折り合ってゆかなければならないのである。
たしかに日本は今ならまだ世界に対して何ごとかをなしうる余力がある。けれども、その影響力と人口を絶えず失い続けているという事実を直視しなければならない。

セント・アンドリュー大学卒。1946年来日。1980年から1984年まで駐日英国大使を務めた。日本アジア協会の代表(1982–1983)、ロンドン日本協会の代表(1985–95)も務め、数多くの日英関係と日本の歴史に関する本を執筆している。ジャパンタイムズに度々投稿している。2018年8月13日(94歳没)

f:id:rainbowsanda170422:20181109210220j:plain

f:id:rainbowsanda170422:20181109210241j:plain

 

安倍三選の意味するものと沖縄知事選

自民党の総裁選の異常さ

 安倍三選で明白になったことは、安倍の政治手法は恐怖政治の段階に至ってきたと言う事実です。下記で述べるようにメディアや石破氏支持勢力への恫喝が公然と行われました。安倍政権が長期化する中で、行政、議会、司法といったあらゆる統治機構が機能不全を起こし、同じ政党内でも政敵は許さないという暴力的な圧力が横行しました。

 自民党の総裁選は、西日本豪雨の被災者そっちのけでの安倍の支持者抱き込みの〝赤坂自民亭〟のドンチャン騒ぎに始まり、東方経済フォーラムでプーチン北方領土返還の前提無しという突然の平和条約締結の提案にバカにされながら、ニタニタするだけで反論すらできない始末でした。外交の安倍は看板倒れで、しかも中国の習近平主席の前で日本の首相が「裸の王様」であることを露呈しました。この安倍の首相としての資質を疑わせるに充分すぎる映像が、メディアを通じて全世界に配信されました。

f:id:rainbowsanda170422:20180924202759j:plain

東方経済フォーラムの全体会合に臨む安倍首相、中国の習近平国家主席、ロシアのプーチン大統領=ロシア・ウラジオストク・2018年9月12日。後にプーチンに抗議したと言う安倍首相だが、ロシアの報道官はこれを否定。またもやウソ!

 一方、自民党は総裁選の「公平・公正」な報道を求める文書を8月28日付けで新聞・通信各社に出しています。権力批判はメディアの使命であり、あからさまな圧力です。さらには対抗馬の石破氏支持者にも脅しをかけています。石破派の斎藤農水相「安倍応援団の一人に『石破さんを応援するんだったら辞表を書いてからやれ』と言われたと。安倍応援団は完全に親衛隊であり、安倍の威光を背景に何でもやりたい放題。しかも世論を恐れずそれをかなり堂々と行っています。自派の細田派議員には安倍支持の誓約書まで書かせています。裏を返せばそこまでしなければ、安倍は安心できない、独裁者の心理状態の表れと見ることができます。

f:id:rainbowsanda170422:20180924201837j:plain

総裁選の選挙対策本部の発足式で高市早苗氏の音頭でエールを送られ、笑顔を見せる安首=9月3日、東京都千代田区。見返りを期待して身びいきの政治私物化の政権に群がる議員の先生たち。

 9月6日の北海道胆振(いぶり)東部地震では北海道全域でブラックアウトが発生し、政府の災害に対する対策が不十分であることが明白になりました。その影響で総裁選のスケジュールも影響を受けましたが、安倍の論理破綻やウソ、支離滅裂さを国民の目に焼き付けるのにある程度有効だったと思います。大事なのは有権者がこのまま自公安倍政権を継続させることは、あらゆる分野で日本の衰退が加速し、自分たちの命や暮らしを危険に晒す事につながり得るということを理解すべきです。

 リンクしたHPは日本記者クラブでの安倍の問題発言とうっかり本音発言、論理すり替えの様子です。良かったら動画もどうぞ。例えば、●拉致問題→「拉致問題を解決できるのは安倍政権だけだと私が言った事はございません」●アベノミクス→「トリクルダウンなんて言った事はない」●森・加計疑惑→「私の妻や友人がかかわってきたことは事実」など。ただメディアがこの安倍の発言を問題視して追及せず、スルーの姿勢に強い危機感を覚えます。おまけは職務権限の質問に「ゴルフに偏見???」や報道ステーションで「目が泳ぐ安倍・・・」。安倍の無知や本質がよく見て取れる動画です。

 拉致問題以外の総裁選での安倍の珍言が分かりやすくまとめられているものもありましたのでご紹介。安倍の支離滅裂な言動と論点すり替えがよくわかります。ついでに昭恵夫人の総裁選の勝利のコメントもありますが、「安倍は世界の、日本のリーダーとか述べる一方で、国民に尽くしていることを認められた」などの理解しがたい森友疑惑の張本人の呆れる意味不明発言です。総裁選は政党の党首選であり、国民が信任したわけでは決してありません。

 

国民の大多数が望まない憲法改正

 安倍は秋の臨時国会自民党改憲案提出を目論んでいます。朝日新聞の9月8、9日両日の世論調査では、自衛隊の明記などを盛り込んだ自民党改憲案の国会提出の賛否は、「反対」49%が「賛成」32%を上回っています。総裁選で争点として一番議論してほしいテーマ(6択)でも、「憲法改正」は8%と最も低いものでした。が、内閣支持率はアップ。有権者の安倍政権の公文書捏造や森友・加計疑惑の政治私物化の事実を前にしても支持率の判断ではそれが反映しないという、日本人特有の政治に対する曖昧さが安倍政権の延命を許しています。

f:id:rainbowsanda170422:20180925001812j:plain共同通信社の20、21両日、自民党総裁選での安倍晋三首相の連続3選を踏まえて実施した全国緊急電話世論調査では、首相が秋の臨時国会に党憲法改正案の提出を目指していることに「反対」とする回答は51.0%、賛成は35.7%でい今憲法改正には多くの国民が疑問を抱いています。

 今なぜ憲法改正か。世論調査に見られるように国民は少子高齢化や所得アップなど生活に直結する政策を望んでいますが、安倍政権は違います。9条については、時代錯誤の国家主義を標榜する極右組織日本会議に支えられる安倍政権下では、絶対に行わせてはなりません。集団的自衛権容認で、世界中で戦争を繰り返す米国に協力して自衛隊を戦争に送り込むなど愚の骨頂。そもそも安倍の9条改正の国民への説明は雑ぱくで情緒論に終始しています。先の党首選の自衛官の子供の「お父さん、憲法違反なの?」という安倍のデタラメの作り話は最低です。国民を愚弄したもので許しがたい発言です。

  米国の要求には何でも従う、例えそれが戦争加担でも。米国への自発的従属が日本の政権(自民党政治家と高級官僚)に継続と保身のお墨付きを与えるという、異常な日本の政治体質。それを証明するものは先の民主党の鳩山政権崩壊の経緯です。

 鳩山政権は沖縄の世界一危険な普天間飛行場を鹿児島県・徳之島に移設を目指しますが、外務省官僚・防衛官僚の抵抗にあって崩壊。秘密裏に進めようとしたこの件は、先の高級官僚のマスコミへのリークで大騒ぎとなりました。冷静に考えれば鳩山政権の普天間の「県外もしくは国外へ」の主張は正論のはずが、当時の世論はそうはならなかった。メディアの鳩山政権叩きで世論もそれに同調、政権崩壊に結果手を貸すことに。この事実は2011年5月のウィキリークスの機密情報暴露で裏付けられています。

 その内容は「確かな証拠(ハードプルーフ)」というアメリカ政府の公文書の中で、日本の外務・防衛の高級官僚がアメリカ側のカート・キャンベル国務次官補に語った驚くべき内容です。

●「(民主党政権の要求に対して)早期に柔軟さを見せるべきではない」(高見澤將林防衛相防衛政策局長・現軍縮会議日本政府代表部大使 核保有国抜の核兵器禁止条約は実効性がないの国連での主張や核禁止条約への言及懸念で高校生平和大使演説見送りを指導した人物)

●「(民主党の考え方は)馬鹿(stupid)げたもので、(いずれ)学ぶことになるだろう(they will learn)」(齋木昭隆・外務省アジア大洋州局長・外務事務次官で退官)※矢部宏治著 日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのかより

f:id:rainbowsanda170422:20180927050912j:plain

左:高見澤將林防衛相防衛政策局長・核保有国抜の核兵器禁止条約は実効性がないの国連での主張や核禁止条約への言及懸念で高校生平和大使演説見送りを指導した人物 右:齋木昭隆・stupidとはひどい表現で、愚か、間抜け、馬鹿馬鹿しいなどの意味がある。本来米国から日本の権利を取り戻す面従腹背の対米従属がいつの間にか「目的化」している事態に陥っています。

 米国への自発的従属の安倍政権の憲法改正は、これまでの強行採決の安保法制に名実ともにお墨付きを与えるものです。自衛隊員の生命を危険に晒すもので、保身と名誉欲の安倍自身の身勝手な憲法改正の主張を、決して許してはなりません。現実に南スーダンPKO(国連平和維持活動)で2016年5~12月に派遣された陸上自衛隊の部隊で、隊員の6人に1人が精神的不安(不眠)を訴え、南スーダンから帰国した現職自衛官のうち、これまでに2人の自殺者が出ています。9条は自衛隊員の命を守るよりどころのはずです。安倍改憲には緊急事態条項の危険な条文もセットです。国民の権利を奪い、国民を危険に晒す安倍政権下の改憲は、到底容認できません。 

 蛇足ですが安倍の総裁三選で、内閣改造で入閣が噂されている政治家が安倍御用達のメディアで勝手な事を喋り出しています。喉元過ぎれば何とやらで、見識や良心など持たない政治家がゾロゾロと安倍政権に群がり、政治権力を国民のためではなく、私利私欲のために利用するという、醜態が繰り返されようとしています。安倍政権に蔓延するネポティズムという縁故主義(nepotism)からファシズムへ変容する我が国の政治を、国民は黙って見過ごしていいのか。政治の有り様は直接国民生活に影響を及ぼすことを、もっと真剣に考えるべきで、その時期を逸すれば取り返しの付かない事態となります。

 

 沖縄知事選は強権安倍政治阻止の民主主義勝利の戦い

 沖縄は一方的に米軍基地を押し付けられ、その負担を今日まで強いられ続けています。基地がある故の事故・事件は言うに及ばず、日常的な米軍機の住宅地上空の危険な低空飛行(米軍住宅地の上空は飛行禁止)や騒音が繰り返され、生活や生命が脅かされ

f:id:rainbowsanda170422:20180929134005j:plain

沖縄防衛局調査の軍用ヘリが2011年8月に行った旋回訓練の航跡図。左右の太い線は海岸線で、中央部分の航跡がないところが米軍住宅エリア。片や日本人が生活する住宅密集地は航跡がビッシリ。日本人の安全には米軍は配慮の必要がないのです。

ています。基地による環境汚染も無視できません。憲法に保障される基本的人権さえも守られていない。事故や事件に見る日本の法律が及ばない沖縄の光景を、私たちは報道で目にしているはずです。航空機事故や米軍関係者の犯罪にも、日本の警察は手出しができません。治外法権が堂々と行われる現実は何なのでしょう。日米安保条約に基づいて在日米軍のさまざまな特権(不平等条約)を認めた日米地位協定の抜本的見直しが必要なのに、安倍政権はその声さえも上げません。一般解釈では憲法最高法規のはずが、現実は米軍基地に関しては無力です。司法は安全保障の分野の判断を回避します。(※1959年の米軍基地存在の憲法判断の最高裁での砂川裁判。最高裁長官の田中耕太郎が日米安保条約のような高度な政治的問題には、憲法判断をしないという判決を出し、これが判例として確定。いわゆる統治行為論と呼ばれる無責任判決で、米国との約束の安保法体系が憲法より格上という独立国としてあり得ない法体系です。)

f:id:rainbowsanda170422:20180929105914j:plain

左:砂川判決以降の法体系 右:憲法98条2項にもとづく一般解釈。米国のいいなりの判決を出した砂川判決は日本国民より米国の日本での治外法権を認めたに等しいもので、沖縄であるいは基地を抱える本土で地域住民に苦しみを与えています。

 この判決で憲法より日米安全保障条約が上位にあるという異常な事態が、今日まで続いています。国民の生活や生命を脅かす事態に、司法の正義が機能しないで安倍政権のような堕落した政治に判断を任せれば、何が起きるか国民ははっきり自覚すべきです。その矛盾が未だに沖縄に加重に押し付けられているわけで、故翁長知事はその不平等性を本土の私たちに訴え続けてきたのです。このブログの読者は当然この基地負担の理不尽さは理解されてるでしょうが、多くの国民は無関心です。むしろ悪質なデマや誤解が刷り込まれている現実があります。例えば沖縄経済は基地に依存?沖縄振興予算があるから基地負担は当然?普天間基地周辺に住人が勝手に住んだ?すべてフェイクです。

 沖縄に戦後の苦難を強いてきたのは、本土の側の論理を優先させた結果です。本土の主権回復は1952年ですが、沖縄復帰は許されませんでした。沖縄復帰が実現するのはは1972年、本土に遅れること20年です。27年間の米国統治によって、基地依存型経済を強いられ、復帰後の沖縄は本土よりも戦後復興が遅れました。その格差是正のためにインフラ整備のための沖縄振興予算が投入されたわけで、基地負担の見返りという主張は全く的外れです。今や自立型経済の確立に向けた各種施策で、観光産業は2017年度の入域客数が過去最高の939万人を記録、主要産業に成長しました。沖縄は近隣のアジア諸国の成長力を取り込んだ人や物、情報の交流拠点として沖縄県経済は新たな可能性が期待されています。

 一方本土との所得の格差は、依然として大きいものがあります。1人当たり県民所得は復帰以降、全国最下位にとどまっている。復帰の年に44万円で全国の59.5%の水準だった県民所得は復帰後に差を縮めたものの、90年代以降は全国平均の6~7割程度で推移。故翁長知事が取り組んだ沖縄社会の貧困や格差の是正は道半ばです。これはひとえに米軍基地固定化を推し進めた歴代政権と妄信的な米国従属を目的化し、「辺野古が唯一の解決策」として新基地建設を押し付け、補助金釣りで沖縄県民の分断と対立を図る安倍政権の卑怯で姑息な政策に大きな責任があります。

f:id:rainbowsanda170422:20180929155312j:plain

 沖縄知事選挙は何度も繰り返しますが、 オール沖縄・全国反安倍民主勢力×ファッショ安倍政権との戦いです。トランプ土下座外交に象徴される米国従属の安倍外交で、安全保障の矛盾が沖縄に集中しています。沖縄を犠牲にして辺野古新基地を許す愚を犯してはなりません。普天間即閉鎖・返還であり、辺野古埋め立て阻止が大前提であり、補助金という醜い釣りで沖縄県民を愚弄する安倍政権とそれに加担する政治勢力は、沖縄の基地負担をこの先も固定化することを本音では認めています。沖縄の苦渋は安倍政権では和らぐ事はありません。沖縄は日本国です。

「戦後の国体」にとって、沖縄とは、「構成的外部」である。すなわち、戦後日本(本土)で「平和と繁栄」が成り立つために、単にそこから排除されただけでなく、その排除によって「平和と繁栄」が可能になった、そのような場所である。

 敗戦後、「国体護持」(天皇制の存続)を実現するためには、非武装の「平和国家」に大転身する必要があった。他方で、天皇制の宿敵たる共産主義の脅威に対抗するためには、日米安保条約による米軍の駐留継続が求められた。

 ここに大矛盾が発生する。すなわち、戦後日本は「絶対に戦争しない国」であらねばならないのと同時に、「いつも戦争している国」の戦争遂行のきわめて重要な助力者となった。この矛盾の解消=隠蔽(いんぺい)を図る場所として指定されたのが、サンフランシスコ講和条約によって「日本でもなければアメリカでもない」場所にされてしまった沖縄だった。

 米軍による沖縄占領の長期継続を望む、という昭和天皇の「沖縄メッセージ」(1947年・マッカーサー元帥宛て)は、この論理の核心をまさに物語るものだ。

www.archives.pref.okinawa.jp

 翁長雄志県政をもたらした「オール沖縄」の形成とは、この役回りを沖縄はもう引き受けないという意志の表れだった。

 選挙結果がどういうものになるにせよ、沖縄の有権者が下す決断は「苦渋の決断」である。要は、「カネを採るのか、誇りを採るのか?」である。筆者が、本土の日本人のひとりとして強調せねばならないと感じるのは、このような選択を沖縄に強いているのは、ほかならぬわれわれだ、という事実である。

 翁長県政に対して安倍政権がやったことは、手段を選ばぬ司法介入であり、デマの流布であり、そして兵糧攻め交付金の減額)だった。そのような振る舞いをする政権を、われわれがつくっているのである。(赤字はWEBRONZA 白井聡「平成最後の自民党総裁選が意味するもの」より転載)

◎虹の会さんだNEWS vol.14のご購読もよろしく

f:id:rainbowsanda170422:20180930020737j:plain

f:id:rainbowsanda170422:20180930020752j:plain