市民と野党をつなぐ三田の会ー虹の会さんだ

市民の力で、衆院選「兵庫5区」に野党共闘を実現しよう。

日本社会に巣くう「安倍的なるもの」の危険

歴史における反復の意味

 安倍政治の知的退廃や倫理的退廃の言動を毎日見聞きするにつけ、怒りと失望を感じない人はいないのではないでしょうか。今や権力の中枢やマスコミ、経済人、文化人、学者、著名人などおよそ日本社会の上層部に位置する人々に起きている思考停止のモラルハザード。どう考えてもこの理不尽な政治や社会状況は何が根っこにあるのか考えてみました。

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 この答えのヒントを「永続敗戦論」で政治・社会分析を試みている政治学・社会思想が専門の白井聡氏に求めてみました。著作『「戦後」の墓碑銘』の序文で、この日本で起きている混乱に通じるカール・マルクスの「ルイ・ボナパルトのブリューメルの18日」にある印象的な言葉の引用があります。

ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度は偉大な悲劇として、もう一度は惨めな笑劇として、と」

その意味するところは、強い必然性によって生ずる出来事の背後にはそれを必然化する構造的変動が存在する以上、類似の出来事が不可避的に発生する。そうなった時にようやく人々は出来事を「現実」として認めざるを得なくなる。「否認」の定義とは、「認知しているが、現実として認めない」という心理状態を言います。変動が大きければ大きいほど、作り出される認知的不和が大きくなるために、人々は「大変革」を現実として認めることができず、それゆえ出来事は繰り返されなければならなくなります。

  マルクスが述べた言葉通りの現実が日本社会に幾つもあることに気付きます。一番端的なのはあの福島原発事故です。事故は起きないと言い続けてきた政府、原子力規制委員会、電力事業者のまやかしが大惨事を引き起こしました。が、今やその事故への検証や反省もなく「原発再稼働」が進められています。再び事故が起きる可能性は予見できるはずなのに。事故が起きればマルクスの言う笑い種ではなく、悲劇そのものです。その時ではもう遅いのです。

 話を政治に戻します。マルクスの格言のもう一つの例証が安倍総理の誕生です。安倍氏が一度総理になっただけならば、「偶然だ」と言うことも可能でしょうが、彼はもう一度権力を掴み、長期政権を実現させています。このことは、「安倍的なるもの」が、日本社会に確固たる根を持つ必然性に支えられて展開してきたことを意味しています。では「安倍的なるもの」が何か、それを知ることが今の政治状況、社会状況を知る上で最も重要だと思われます。ここで付け加えておきますが、間違っても安倍晋三という人物が大物なんて努々言っているのではありません。むしろ凡人の類いでしょう。問題にしているのは安倍晋三に象徴される「安倍的なるもの」ものです。

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コンプレックスと特権意識

 安倍首相の基本的エートス( 性格・習性など個人の持続的な特質=極右的な発言・行動・政策)が永続敗戦レジームの中核たる「敗戦の否認」にあることは容易に分かる筈です。
白井聡氏の主張であり、「永続敗戦」それは戦後日本のレジームの核心的本質であり、「敗戦の否認」を意味します。国内およびアジアに対しては敗北を否認することによって「神州不滅」の神話を維持しながら、自らを容認し支えてくれる米国に対しては盲従を続ける考え方です。敗戦を否認するがゆえに敗北が際限なく続くという分析であり、安倍首相がいう「戦後レジームからの脱却」は対米従属を容認するもので、内政・外交の政策決定を主権国家としてのあるべき姿に変えるというものではなく、不平等な日米地位協定での沖縄基地問題を始めとして、対米従属の矛盾の解決を図ろうとするものでは全くありません。彼のエートス憲法を変え、国家主義を標榜し、戦争ができる国にすることが「戦後レジームからの脱却」というアナクロ的な危険な思想です。

安倍首相に象徴される今日の日本社会で、「敗戦の否認」は、その最も攻撃的な形態においては在特会ネトウヨらの社会現象として現れています。つまり、差別主義者たちは、中国、韓国、在日の人々や生活保護受給者などの弱者に対する人権侵害を行なうことによって、その場にかつての大日本帝国を出現させていると言えます。言い換えれば、きわめて活動的なかたちで敗戦を否認してみせています。無論、街頭に出て聴くに堪えない罵詈雑言を喚き散らす彼らは少数派であり、多くの日本人が眉をひそめる対象です。しかし、「われわれはあの戦争に負けたわけではないのだ」という歴史意識は、戦後日本の根幹をなすものにほかならず、中国や韓国の人々に対するとき潜在的に刷り込まれた差別意識は顕在化します。その意味で差別主義者たちはマイノリティではないと言えるはずです。在特会ネトウヨのごとき醜悪で愚かな存在を育む温床を、戦後日本社会はその核心において有していたことを認めざるを得ないと言えます。

headlines.yahoo.co.jp

 第一次安倍政権は何やら茶番めいた展開で退陣しましたが、第二次政権はその持続が長ければ長いほど、日本社会に対して深刻な傷を与え続けています。安倍首相とその指導層は、コンプレックスと特権意識の奇妙な精神構造の持ち主です。米国への秘められた屈辱感を抱きつつ、対米無限従属体制を無理矢理にでも維持することが彼らの特権的地位を保つ最大の手段である以上、その屈辱感を直接的に払拭する手立ては持たない。この捻れた意識は国民を侮辱することによって代替的な満足を得ようとします。それが特定秘密保護法集団的自衛権閣議決定、安保法制、共謀罪働き方改革関連法案と続き、一連の《人権剥奪》政策に駆り立てる心理です。

 安倍政権の堂々たる答弁破綻の憲政史上最悪の国会軽視は、それ自体が目的化しているおり、悪辣ぶりは異常です。即ち、「国権の最高機関」において国民の代表者を侮蔑することによって、自らの特権的地位を確認するということが行われています。

安倍政権の支持率を支えた核心

 最後に見て見ぬふりはできない理由があります。この国の最大の問題は、「国民(有権者)の劣化」に他なりません。政治はその時代の国民意識の表れです。安倍政権誕生から5年以上が経過する中、今でこそ少しは下げていますが、政権の支持率は高止まりし続けてきました。「国民(有権者)の劣化」それこそが、長期政権の根本理由です。誰しも声だかに言いにくいことですが、事実であることは誰しも否定しがたいでしょう。世論調査項目の「他に適任者がいないから」「外交成果を挙げているから」「経済が上手くいっているから」という理由から高い支持率が安倍政権にあります。少し考えれば、失敗だらけの政策であり、首相の能力の無さは明瞭。が、長期政権が続く…

希望はある、市民と野党の共闘

 民主主義は脆弱です。民主主義は敗戦で直接は米国がもたらしたものですが、それを自分たちのものにする不断の努力が必要です。お任せの民主主義では必ず安倍政権のような反動的な権力者の台頭を許し、民主主義は国民の手元から離れて行きます。自分たちの人権や自由が危機に晒されていいのでしょうか。政治は市民のものです。

 主権者たろうとする人々や正当な権利を主張する人々が全国で安倍政権打倒の声を上げ続けています。この力が結集され確たる形を持った集団となり、立憲主義と民主主義を守る野党と共闘して安倍政治を終わらせることが急務。一部野党の離合集散など意味はありません。市民と野党の共闘以外に選択肢はないことは確実に言えます。

《参考資料》●八嶋聡ブログ omoinoha.exblog.jp 「歴史における反復」という観念(読書ノート)『「戦後」の墓碑銘』●YAHOO!ニュース 民主主義考 白井聡さんが語る安倍政治(上)国家権力の腐敗と本質(下)目的化する国会軽視

◎虹の会さんだNEWS 4月号アップします。

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