市民と野党をつなぐ三田の会ー虹の会さんだ

市民の力で、野党共闘を実現しよう。

日本という国を知る

 今年最後ということで「いまの日本って何か変」という自分の中にあるわだかまりが、少しでも解ける本はないかと思い、ネットで探していると「決定版 日本という国」が目に留まり、取り合えず購入して走り読みしてみました。著者は小熊英二氏で、慶応大学の教授で社会学者です。とても興味深い人です。以下ブログはその内容を参考にしています。内容は10代の読者を意識した平易なもので、当方にとっても理解しやすく、多くの示唆に富む一冊でした。特にウソとごまかしが平然と行われる今日の政治に対して、若い人が日本という国の有り様を理解するのに役立つ一冊と思います。

 「世界の真ん中で輝く日本を」なんて臆面も無く言う安倍総理がこの日本の政権を握っています。世界情勢が変わり、日本だけが一人勝ちできる時代はもう来ません。冷戦が終わり、世界がフラット化し、経済発展を追求する時代が訪れて、多々問題はありますが、経済力をつけた市民が豊かさを享受する時代になりました。にもかかわらず、日本のトップが「過去の栄光をもう一度」の発想しか持てないのは、国民にとって最大の不幸です。なぜか、それには明治期から続くアジア諸国を低く見る日本人に刷り込まれた偏見や、戦後のアメリカ一辺倒の関係が強く影響していることをこの本は教えてくれます。

 「決定版 日本という国」は二部構成です。一部は明治からの植民地化されないために強く豊かになろうという近代化と戦争の歩み。二部は敗戦と、日本国憲法日米安保条約に象徴されるアメリカとの変えるべき関係が変えられないという、過去回帰志向の政治体制の歩みです。ブログでは二部の戦後の歩みを紹介していきます。

日本が戦争で受けた傷とアジア諸国の被害

  戦争被害について数字を列挙してみます。因みに数字は文科省の検定通過の教科書のものです。少なくとも国が認めた数字ということになります。
日本の被害●戦闘での軍人と民間人合わせて死者約310万人(沖縄戦死者約15万人※沖縄では県民の4人に1人が死亡、広島と長崎の原爆死者約30万人以上)●約1500万人が空襲などで家屋喪失。これらの被害をもたらした原因は戦争そのものですが、終戦間際の日本軍や政府の上層部の天皇制を守ることや戦犯裁判を日本側で行うことなど、自分たちが助かる事だけを考えて人命軽視の時間浪費で、戦争終結を遅らせたことにも大きな責任があります。もっと言うなら、1945年2月の元首相の近衛文麿の降伏交渉の進言を天皇が拒否したという事実も影響しています。敗戦が明白でありながら降伏を引き延ばした結果、3月の東京大空襲、4月からの沖縄戦、8月の広島・長崎の原爆投下、海外での無意味な戦闘での戦死、ソ連参戦やその結果の朝鮮半島の分、それぞれが無くてすんだ悲劇です。戦争被害は当然、日本人だけが受けた訳ではありません。
アジア諸国の被害(日本が侵略して与えた被害※数字は教科書検定記載のもの)●韓国・北朝鮮死者20万人、しかし強制連行で終戦末期の在日の朝鮮人は約230万人と言われ、劣悪な環境下の重労働で死んだ人や「従軍慰安婦」にされた人も少なくありません。さらに朝鮮と台湾は日本に併合されており、日本人として兵隊に徴兵されたり、軍属にされ、日本軍の一員にされて死亡した人も多くいます。●台湾死者約3万人●中国死者約1000万人●インドネシア死者約200万人●ベトナム死者約200万人●ミャンマー死者約5万人●フィリピン死者約100万人●マレーシア死者約5万人●シンガポール死者約8万人

 先の大戦で亡くなった日本人の数も膨大ですが、驚くのはこの戦争で亡くなったアジア諸国の犠牲者の膨大な数です。そして忘れてはならないのは日本およびアジア諸国にの亡くなった人の背後には、心に痛手をおった多くの遺族が存在するということです。戦争という惨禍は、これ程までに愚かなのに、今日の政権の主の記憶からはそれがそっくり抜け落ちているようで、国難と称して勇ましい言葉で国民を欺き、軍拡に奔る愚かな姿が、かつての時代の指導層の愚かさとダブります。

以下の引用は作家の夢野久作の長男・杉山龍丸氏の回想です。彼は復員事務という、戦争帰還者や戦争行方不明者の問合せの仕事に就いていました。それは問合わせ者に「亡くなった、死んだ、死んだ…」と伝えねばならない辛い仕事だった述べています。その杉山氏のところにある日、小学校二年生の少女が、食糧難で病気になった祖父母の代理として父親の消息を尋ねてきた場面の話です。

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憲法は「押しつけ」?実は保守も財界も歓迎 

 敗戦を機にアメリカ占領軍により一連の日本の改革が行われました。 初期の占領政策は、日本の非武装化民主化という意図で進められます。なかでも最大の改革は大日本帝国憲法をいまの日本国憲法に変えたことです。戦争で苦しんだ人々は一応に戦争と戦力放棄をうたった9条を持つ新憲法を歓迎しています。1946年の世論調査では第9条への支持は70%とあります。さらに天皇制存続や資本主義容認の中身もあって保守政治家や財界もけっこう歓迎しています。

 新憲法および特に第9条は「日本の最大の誇り」として捉えられています。文部省から1947年8月に出された「あたらしい憲法のはなし」では、第9条の非武装の理念が生徒に以下のように語られています。「日本は正しいことを、ほかの国よりさきにおこなったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」と。新聞各紙の1947年5月3日の社説も新憲法や9条を評価しています。●日経ー国民に進むべき行く先を教え、世界に偽りもひけめも感じることなく自信をもって内外に示せる●読売ー第9条は敗戦の結果ではなく、積極的な世界政治理想の先駆●毎日ーこれからの日本の国家綱領であり、同時に基本的国民倫理と紹介しています。

アメリカの都合で方針転換、そして再軍備

 しかし、1950年代前後からアメリカの対日政策がソ連との対立で大きく転換することになります。いわゆる東西対立の「冷戦」です。日本を再軍備させて、アジアの西側陣営に組み込む必要性が出てきた訳です。1950年7月マッカーサーの命令で「警察予備隊」が作られます。後に「保安隊」、1954年4月には今の「自衛隊」という名称に変わって行きます。アメリカの方針転換で、東京裁判A級戦犯として裁かれ、それ以外の軍人は公職追放になっていましたが、日本再軍備のために旧軍人将校が必要となり、1950年11月には旧軍人の公職追放解除が始まります。政治家や経済人も同様に釈放されて行きます。1948年12月、東條英機内閣で商工大臣として戦争を遂行したA級戦犯岸信介も釈放されています。「冷戦が悪化すれば首を絞められずにすむ、それがわれわれ(A級戦犯)の頼みの綱であった」と岸自身も回想しています。

サンフランシスコ講和条約と日本の安上がりの賠償

 講和条約は一義的には日本が主権を回復し、戦争状態の国と国交を回復し、占領状態が終了したと理解されているように思います。ただこの講和会議は1950年6月勃発の朝鮮戦争まっただ中の1951年9月に開催されています。講和条約と同時に「日米安保条約」も締結します。朝鮮戦争当時、日本は補給や修理のための後方基地であると同時に、国内にあるアメリカ軍基地が自由に使えることは戦略上の重要な意味を持っていました。占領が終結してもアメリカが日本に居残る必要性から、名目は日本の安全保障のためということで、これらの条約が急ぎ結ばれたという意味合いが大きいと言えます。さらに1952年2月には不平等条約の典型の「日米行政協定」(後に「日米地位協定」と名称変更)を結びます。

 この「日米行政協定」は米軍人の犯罪に対し、日本側に警察権も裁判権もありません。また、米軍の駐留費用は日本も分担することになっています。「日米安保条約」では米軍基地の使用に期限や制限もありません。まさに日本の主権が侵害されているわけですが、この状況は今も何ら変わることはありません。至れり尽くせりの米軍駐留はアメリカ側には願ってもないおいしいものであり、駐留費用負担は今も「思いやり予算」として大きな額を予算の中に占めています。参考までに2019年度の予算案と安倍政権の日米地位協定への認識を示す国会答弁の記録をリンクしておきます。首相、外相にして不平等条約の「地位協定」改定へのアメリカ忖度の消極性と、基地の加重負担にあえぐ沖縄県民の苦痛への無自覚さがよく出ています。

シリーズ検証 日米地位協定/在日米軍関係経費 初の8000億円台/膨らむ「辺野古」

https://note.mu/jun21101016/n/nd811229c4a20

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/341724

 この講和条約で日本本土は占領状態が終わることになりますが、沖縄は切り離され、アメリカ軍の占領統治状態が続くことになります。アメリカは軍事基地としての沖縄の重要性から占領状態に固執したわけです。占領状態におくことで、やりたい放題ができるという訳です。当然、日本の政府もそれに同意しています。沖縄の本土復帰は、1972年5月15日まで待たねばなりません。

 一方、当時の吉田茂首相は極東米軍のクラーク司令官と口頭で密約を交わしています。日本の軍事力は有事の際は、アメリカ軍の指揮下に入ることの合意です。いわゆる「指揮権密約」です。この事実はアメリカの公文書にはっきり残っており、獨協大学名誉教授の古関彰一氏が発掘し、1981年5月22日号と29日号の『朝日ジャーナル』で大スクープとして記事になっています。この「指揮権密約」は政府は認めませんが、今も生きています。

 少し話が現代に飛びますが、「指揮権密約」は重要なことなので押さえて置きます。2015年以来、急速に整備されつつある安保関連法と安倍9条改憲の先には「完全にアメリカに従属し、戦争が必要と米軍司令部が判断したら、世界中でその指揮下に入って戦う自衛隊」ということが現実になるということです。安倍首相がどこまで地位協定や外務官僚が牛耳る合同委員会の中身を理解しているかは、ウソが平気な官僚ですから、甚だ疑問ですが。改憲の真実はアメリカの言いなりになる自衛隊憲法に書き込むということに尽きます。改憲アメリカの強い要望によるもので、冷戦以来、アメリカの要求は一貫しています。唯々諾々、アメリカンファーストの安倍首相の軽々しい判断は、日本を危うくすることにつながります。

 話を戻します。駐留経費を負担し、沖縄を本土復帰の見返りに占領状態のままにし、沖縄の米軍基地を自由に使えるものにし、主権にかかわる「指揮権密約」まで差し出した日本に対して、アメリカは有利な条件を講和条約に盛り込みます。それは日本の侵略で被害を受けた国に対して、賠償請求権を放棄させるというものでした。講和条約第14条にその内容があります。賠償請求権放棄は、アメリカにとっても使い勝手の良い日本を戦後復興させるためにも必要でした。経済発展させ工業国として利用し、再軍備させ、西側陣営に留めることが戦略上、重要だったわけです。当然、こうしたアメリカの講和条件は不評で連合国側の反発を買います。ソ連ポーランドチェコスロバキアは調印拒否。インドネシアビルマ(現在ミャンマー)は会議欠席。北朝鮮、韓国、中国は、会議に招待さえされませんでした。

 賠償請求権放棄という評判の悪い条件を、アメリカの根回しと圧力のお陰で大半の国に認めてもらうというこに日本は成功します。因みに正式に日本が賠償したのは、ビルマインドネシア、フィリピン、南ベトナムの四ヶ国だけです。韓国や中国には経済援助や技術協力の形で賠償問題を解決してもらっています。こうして日本は、アメリカの後ろ盾を活用しながら、アジアへの戦後賠償を軽くすませ、あるいは経済進出の足がかりにして、経済成長を成し遂げたというのが事実です。

 政府が「賠償問題は外交的に解決済み」という紋切り型の説明では、戦争被害を被ったアジアの人々には、とても納得がいくものではありません。事実、賠償金が当時の政府によって勝手に流用され、個人に支払われていないことも多々ありました。国家間の賠償問題は外交的に解決済みでも、個人の賠償請求権は生きている論法が、やはり正しいといえると思います。何故ならこの論法を日本政府も、ソ連の日本人のシベリア抑留の賠償問題で堂々と使用しています。二枚舌ですね。1991年になって日本政府は1956年の請求権放棄は国家間のもので、「国民個人からの請求権まで放棄したのではない」と正式にコメントしています。

これからの日本を考える時に来ている

 今の安倍政治は屈折したナショナリズムで成立しています。無理な要求をするアメリカに内心不満でも、その要求を承諾する。そのフラストレーションの状況に「日本の誇りをとりもどす」というナショナリズムを持ち出すやり方は、およそ賢明とは言えません。彼らは靖国参拝を繰り返し、歴史教科書を書き直し、侵略は無かったと言いはる。さらには、アメリカから押しつけられたとして自主憲法を作り、第9条を改正して、自衛隊を海外派遣できるようにするなどです。

 これでは、アジア諸国との関係はますます冷え込むばかりです。アジアの国からは、自分より強い相手(アメリカ)には文句が言えないから、弱そうな相手(アジア)に八つ当たりしてとしか見えないでしょう。保守政権のこの外交のスタンスでは、何も良い方向には変わりません。安倍政権になってこの悪循環のナショナリズム・スパイラルが加速しています。本来一方的な関係を正す相手は、アメリカのはずですから。

ブエノスアイレスで2018年11月30日に開かれた日米首脳会談では、トランプ米大統領が「日本はF35など大量の戦闘機を買ってくれており、われわれはそれを高く評価している」と謝意を表明。英語も理解できない安倍首相、上から目線のトランプ大統領。この構図自体が戦後のアメリカとの卑屈な関係の象徴のように思われます。

 まとめです。戦後の日本は、アメリカの方針に従いながら、アジアへの戦後賠償あるいは補償を安上がりにすませて経済成長してきました。アメリカ軍に基地を提供し、自衛隊を作って、アメリカのいうままに海外派遣を行うまでになりました。

 日本の戦後から現在までの在り方は、大雑把に言えばアメリカとの関係さえ良くして行けば、アジア諸国との関係は何とかなる。つまりアジア諸国との関係がマズくなればアメリカが何とかしてくれるという、近隣諸国のアジア軽視の、どこまで言ってもアメリカ頼みの、主権国家としての主体性なき政治だと言ってもいいでしょう。

 安倍政治にはアメリカとの従属的な関係を少しでも変えようとする、戦略も意志もありません。現状のまま、なしくずしに行くことを選択しているように思われます。アメリカの世界戦略に合わせて基地を提供し、自衛隊を拡充してくやり方です。しかし、このやり方では沖縄の負担は減ることはことはありません。「辺野古移転が唯一の選択肢」は詭弁です。沖縄に基地を集中させるかわりに、政府が公共投資で沖縄の不満をそらす。しかし、政府の財政赤字も増え続ける中で、沖縄に予算を潤沢に振り向けることもできなくなっています。このままでは行く付く先は見えています。沖縄に苦痛を押し付けるやり方では、もう沖縄が持ちません。

 安倍首相がよく口にする「戦後レジームからの脱却」は、皮肉にも現実は真逆の固定化の道にばく進しています。もともと言葉の定義も、その背景も理解できているとは思えない安倍首相ですから。ただ単にカッコよく言っているつもりなのでしょう。

 日本が取り得る選択肢は明白です。アメリカとの関係を見直し、アジア諸国、特に中国、韓国との新しい協調関係構築に踏み出す新しい政治が必要です。現在、沖縄の辺野古の是非を問う県民投票に一部の自治体が不参加を表明していますが、これこそ愚の骨頂だと思います。市民が基地の問題を主体的に意思表明する機会を奪う行為であり、県民投票はアメリカとの従属の関係を見直す一歩であり、本土の世論喚起で、アメリカとの関係の在り方の問う重要な機会であるはずです。市民が、国民が、政治を変えていくという政治参加の必要性が、今ほど必要とされている時はないでしょう。

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虹の会さんだニュース12月号

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