市民と野党をつなぐ三田の会ー虹の会さんだ

市民の力で、野党共闘を実現しよう。

社会を変えるには

 どう見ても真面ではない安倍政権が今もって継続しています。何故なんだろうと毎回疑問に思っています。安倍晋三という個人は、無能と言っても差し支えないでしょう。ただ異常な特権意識と猜疑心の持ち主であり、本人周辺をお友達で固めています。ご注進する輩には事欠きません。森友・加計疑惑、特に森友疑惑では財務省が公文書改ざんをやっていますが、トカゲのシッポ切りで安倍首相、麻生財務省も責任すら感じていません。一方、世論調査で森友・加計疑惑の首相説明に納得しない比率が高いのに、安倍政権支持はそこそこある。疑惑に納得しない高い比率が、そのまま内閣の不支持にならない国民意識って、何だろうと不思議でなりません。と思うと、今までとは異なる社会状況が生まれているのではないかという、モヤモヤが常にありました。

 今回はそのモヤモヤ解消の糸口になるか分かりませんが、「社会を変えるには」小熊英二講談社現代新書を、当方が必要と思われる所を引用して行きます。かなり独善的で、間違った解釈もあるかも知れません。できれば元ネタ本をお読みください。

日本社会はいまどこにいるのか

 2000年代から、不況だ、格差だ、未来が危ぶまれる、という声が日本社会で強まってきました。1960年代から80年代まで、「Japan as No.1」とも呼ばれた日本。いい学校に行って、いい会社に行けば、安定した生活と老後が待っていると信じられていた「1億総中流」の時代。その時代に築かれたしくみが、雇用でも教育でも、社会保障でも政治でも、行き詰まっています。しかし、次のモデルが見出せない。これが日本社会の現状です。

 著者はわが国の長く続く閉塞状況をポスト工業化社会と社会現象が一つの固定化したものとして捉えられない、常に変化し続ける「再帰性の増大」(※再帰性については後述)をキーワードに、様々な具体例を提示して説明しています。経済が右肩上がりで「一億総中流」と言われ、画一化して、社会が分かりやすく俯瞰できた工業化社会が終わり、人々の生き方や価値観は「自由」で「多様」になる一方、マスとしての階層はなく、見通しがしづらい社会が到来し、従来の政策が機能しない状況になっています。その矛盾が一気に現実になったのが東日本大震災での福島第一原発事故です。安全と言われた日本の原発は、政府や利害関係者の原子力村によって作られたウソだったことが白日の下にさらされました。

 ポスト工業化社会

 情報技術が進歩して、グローバル化が進みます。先進国の製造業は、国内の賃金が高いので、海外に移転するか、海外の工場と契約を結びます。国内に自社工場を持つにしても、コンピュータ制御の自動機械があれば熟練工はあまり必要ありませんから、現場の単純業務は短期雇用の非正規労働者に切り替わります。

 事務職でも、単純業務は非正規に切り替わり、デザインなどの専門業務は外注すればよくなります。長期雇用の正社員は、企画を立てたりする少数の中核社員のほかはいらなくなります。ピラミッド型の会社組織も必要なくなって、随時に集まって随時に契約解除する、ネットワーク型に変化しています。

 先進国では製造業が減り、情報産業や、IT技術をもとにグローバルに投資する金融業などが盛んになります。また宅配業やデータ入力業など、新種の下請けの仕事がたくさん生まれます。ビジネス街で働く中核エリート社員を支えるためには、単純事務作業員やビル清掃員、コンビニや外食産業などの労働者が必要です。

 これらはマクドナルドのアルバイトに象徴される、「マックジョブ」と呼ばれる短期労働者の職になります。一人の中核エリートを支えるのに、5人の周辺労働者が必要と言われ、先進国の都市であっても、多数派の周辺労働者が形成され、格差が増大します。

 働き方が変わってくると、労働組合が弱くなります。人の入れ替わりが激しく、外注や短期契約が増え、組織率が下がります。「労働者」といっても様々で、どの労働者の利益を守るかがむずかしくなります。従来の労働組合に組織されていた正規雇用の人たちを守ろうとすると、非正規労働者との対立も起きがちになり、労働組合は一部の人しか代表していないと思われる事態になります。

  働き方も服装も「自由」で「多様」になって、労働者意識が薄れていきます。それもまた、労働組合と労働政党を弱めます。しかし、保守政党も「自由」と「多様」を背景に同様に企業家、農民の支持も弱まります。既存政党による政治が安定を失って、行き場を失った浮動票が増えていきます。

 正規雇用が減る中で就職競争が激化し、大学進学率は上がります。かつての受験戦争とは様相が異なります。家庭が豊かで成績もいい層の競争が上がり、それ以外の中堅以下の学校に行っても将来は知れているので、意欲が下がり勉強をしなくなる層が増えます。親の格差が子どもの世代でも再生産されます。

 子どもに学歴をつけさせるために、収入が必要になります。男性の雇用と賃金が不安定化しているので、専業主婦ではやっていけないので、女性の労働力率が上昇します。男性の賃金が下がって働く女性が増えると、いろんな意味で余裕がなくなり家庭が不安定化するとも言われています。

 失業と非正規は全体に増え、年長者の正規雇用の維持が優先されることなどのためにとくに若者でそれらが増加します。安定した収入が収入が得られないので、親元同居が長期化して、晩婚化と少子化が進みます。正規雇用の親元を離れたら非正規の若者は健康保険にも入れない現実があります。

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再帰的近代化

 分断と対立、格差と貧困。政治の右傾化。現代の政治の危機にどう対応すべきかという問いに、本の中でイギリスのアンソニー・ギデンズの「再帰的近代化」の考え方を紹介しています。ギデンズは「左派右派を超えて」「第三の道」などの著作があり、ブレア首相のブレーンを務めています。

 「再帰的近代化」とは、すべてが再帰的(reflexive)になり、作り作られる度合いが高まり、安定性をなくする近代化の形です。一方、「単純な近代化」というのは個体論的な合理主義が成立していた近代化のことを言います。主体(政治権力)が客体または個体(明確に分類できた階層)を把握できる。客体の傾向を分析して、要望の多い政策を行う。しかし、今ではその方法が成り立たない。

 それはなぜか。「単純な近代化」の前提である、「個体」というものが成り立たない。例えば村は一つの個体である。だから村の民意は、選出された議員に代表されるはずだ。労働者階級も一つの個体であるから、こういう政策をやれば満足するはずだ。同様に失業者は、母子家庭は、高齢者は1つの集団として把握し、福祉政策を行えばよい。この前提が成り立っていた時代は、代議制民主主義も、経済政策も福祉政策も機能します。

 かつての日本の工業化社会に当てはめれば、もっと分かりやすいかも知れません。1960年代から80年代の日本では、安定雇用が広がったので、生活様式やライフサイクルが均質化しました。男なら18歳から22歳まで学校へ行き、新卒で就職して、着実に給料が上がり、60歳で引退。女なら24歳までに結婚して、30歳までに2人の子どもを産み、35歳で子育てを終えて、パートに出た後、老いた親を介護する。こういう社会は、きわめて政治や政策がやりやすい。「労働者」「地域」の代表が議員になり、「雇用者」「自営業者」「農民」「主婦」「高齢者」といった分類に対応した政策をとればよかったからです。

 いまやこの分類に当てはめることはできません。ポスト工業化社会で、社会との関係において人々が「自由」になって、選択肢が増大しています。もっと言えば人々が「選択できることを意識するようになった」というのが大きな変化です。

 ここで大事なのは選択可能性の増大は、固定した関係が成り立たないことです。関係性においては相手がいますから、相手も選択可能性の増大の位置にいます。例えば就職活動で見ると、学生は何社もの企業が自由に選べる反面、企業側も同様の自由で学生を自由に選別できます。結果、就職できない若者が増えることになります。学生側が贅沢だという論拠は、選択肢と多様性の増大の時代には意味をなしません。社会がそう動いているのですから。この関係は男女、家族、企業間、政治家と有権者とすべてにあてはまり、相互に変わっていくという意味で不安定性が増します。

再帰性が増大する

 近代的な経済学や政治学などは、主体の行動と選択の自由度が増せば、観測と情報種収に基づいて合理的行動が可能となり、世界は予測可能になって操作できるようになると考えてきました。ところが現実は全然そうなっていない。繰り返しますが、主体の影響(こうだろう作った予測)を受けて客体(その情報を受けて、考え方を作り変える)も変わる。社会で増大しているのは、この「作り作られてくる」度合いです。ギデンズは、これを「再帰性の増大」と呼びました。

 再帰性の増大は、誰にも不安定をもたらしますが、恵まれない人々への打撃が大きくなり明日。かつては貧しい人々は、共同体や家族の相互扶助で、経済的貧しさをある程度カバーしていました。まだ包摂の社会が成り立っていました。あるいは、自分が培った仕事や技術や生き方への誇りで、心理的貧しさを補ったりしていました。

 しかし、再帰性が増大し、選択可能性と他人の視線にさらされると、誇りも揺らいでいきます。そして相互扶助も誇りも失って、無限の選択可能性の中に放り出され、情報収集能力(自分で情報を集めて考え、自分で行動することを要求される)と貨幣なしにはやっていけない状態に追い込まれます。このあたりは現実の日本社会に見られる自己責任論が典型と言えます。

保守主義の逆機能

 いま日本の政治に見られる保守主義(どう見てもファシズムですが)の台頭は、この時代の変化に対応できていません。一億総活躍社会だの、働き方改革だの、地方創生だの言葉だけで、中身は財界主張にそったもので搾取の手段を変えただけです。「女は結婚して家に帰れ」、「今の若者はがまんが足りない」と唱え、カテゴリー化の呪縛に相変わらず固執し、個人は変化し続けるという再帰性の増大を、かけ声で阻止することはできません。「昭和ノスタルジー」の主張もこの類いです。こんな主張の政治家や経営者は特権意識が強く、自身は「自由」に振る舞いながら、相手には「伝統的」な行動を要求します。

 自分たちの振るまいが、相手に影響を与え、余計に再帰性を増大させることが理解できていません。そこには対立が生まれ、逆機能が生まれ社会がより不安定化します。こうした保守主義の典型が、少子化です。少子化は、麻生クンのようなアホボンが言うような低俗な論拠で起こっているのではありません。

 ポスト工業化社会では、日本だけでなく、スペイン、イタリアなど伝統的な性役割にもとづいた価値観や制度の国の方が、少子化が激化する傾向にあります。それは男性の平均賃金が下がり(安倍ボンの名目総雇用者所得で賃金上昇もウソ、実質総雇用者所得はマイナス、森羅万象?に目配せする超能力者にしてはお粗末!統計不正はアベノミクス偽装に利用が真実!!、女性が働きに出ざるを得ないのに、おバカな日本会議やその同調者の保守主義が障害になって対応できないからです。男性は家事をしない、休暇制度も保育園も整備されていない、というのでは、女性は子どもを産まないか、あるいは結婚しません。(再帰性の増大で、当然女性の選択肢も増大する結果です)

 因みに育児支援や休暇制度を活用して仕事をやめなかった女性の方が、専業主婦になった女性より、生涯に産む子どもの数は多いとされています。

対話と公開制

 ではどうするか。万能薬はありません。しかしギデンズの提案は、再帰性を止める(保守主義)のではなく、再帰性には再帰的に対処すべきだと。

 再帰性が増大した社会の問題も、内在的に対処するしかない。具体的には、対話(問答法、弁証法)の促進です。もう「村」とか「労働者」という従来の「われわれ」に、そのままの形で頼ることはできない。ならば対話を通してお互いが変化し、新しい「われわれ」を作るしかないないのです。

 例えば、「私」と「あなた」が対立した場合です。どちらかが悪いと責めるか、妥協するか、お互いに不干渉でいくか、腕力や言葉の暴力を振るうか、という形になってしまいがちです。一方的に理性を行使したり、伝統に依拠したりすれば、事態は益々悪化します。対話によってお互いが変化し、関係を変えれば、新しい「われわれ」を作ることになります。

 こうして作られる関係を、ギデンズは「能動的信頼」と呼んでいます。こちらから働きかけて、信頼を作っていくことを言います。自分が相手に何をできるかを考え、それを実行して相手の信頼を」得ていく。

 政治で言えば、公開と対話がコンセプトになります。代議制民主主義にできるだけ公開と対話を導入し、人々に参加してもらうことです。そうしないと、政治に関心の少ない人が増え、正統性が下がって、政治は不安定になる一方となります。

 現代では、先進国で、地域主催と公聴会がさかんになっています。小さな単位で対話に参加できる仕組みを取り入れ、直接民主主義の活力で代議制民主主義を補完しないと、民主主義そのものが持たなくなってきたからです。集会やデモ、ハンガーストライキもまた、直接民主主義の活力を社会に与えていく方法です。

エンパワーメント

 とは言っても、うまくいかないことも多い。まず対話にのってこない。不慣れで知識もない。一から教えたり、学ばなければならない。

 政治で言えば、公聴会を開いても地元の有力者しかこない。一般参加者を集めても発言してくれない。知識もないからまともな議論にならない。結局いままで通りにやった方が早いし、相手もそれを期待したりする。これは対話すべき主体の力が低くなっているということ。対話に参加してこない理由の一つは、自分はダメだと思っている。力がない、知識がない、慣れていない、できない、だから変えられないとなります。

 それを変えるためには、対話主体を元気づける、力をつけるしかありません。エンパワーメント(力づけ)し、アクティブ化しなければならない。それを助けるのが、政府なり専門家のやるべき新しい役割だと言うことになります。

 例えば家族政策については、知識の普及や相談所の充実です。男女の役割が変わっていることを教育で教える。最低限の家事が誰でもできるように講習する。避妊や育児知識を普及させる。問題が生じた場合にいつでも相談できる場所を用意し、専門の相談員を配置する。

 医療では、医学知識を普及させ、自分で予防できるようにする。あるいは情報を理解して治療法を選択できるようにする。労働政策なら、失業した人、あるいはよりよい就職をしたい人には、職業訓練を行って自力をつけ、職業選択をする力をつける。誰でもキャリアアップできるように、大学をはじめ高等教育はできるだけ無償化する。

 政治なら、トップダウンを避け、情報公開と公聴会などで参加を促す一方、政治についての知識を普及させ、人々の自立能力を高める。また、分権を行って、役割を担わせる。NPOの認可と助成、寄付税制などの仕組みをつくり、自発的活動の活性化を促す。

 地方経済なら、大工場を誘致やそのために補助金中央政府から貰うとかのやり方をやめる。地元にあるものを使って、お金をかけずに小規模でも付加価値の高い産業を起こし、ネットワークを通じて多角的に販売していく。エネルギー分野で言えば、原発のような大規模発電を誘致するのではなく、小規模な再生産可能エネルギー発電を、地元のお金を出し合って協同運営していく、形になるでしょう。

 いま三田市で問題化しているトップダウンでの市民病院の民営化に向けての統合化は、地域医療の核として市民病院が必要という市民の願いを踏みにじるものです。市民病院の必要性は「再帰性の増大」の定義から言えば、経済性だけで結論を出すのは誤っています。選択肢の多様性からも対話と公開性が必要な政治に、真逆のプロセスで政策決定が行われようとしています。病院の統合化問題は三田市民が選び、決めるるという基本を政治が忘れています。主体は市民です。

 先に掲げたことは個々の政策は提唱されたり、部分的に実施されていますが、基本のコンセプトが共有されていません。再帰性の増大した社会では、そういう方向に転換しないと、社会運営が必然的に行き詰まってしまいます。

 安倍政治を変えようとする市民運動は、自発的な集まりです。原発事故以来の運動は、今も全国で継続されています。政治家に任せておけば社会は良くなるなんて思っている人はほぼいないでしょう。安倍首相が政権をとって以来、政治はビジョンもなく、危険な回帰性に終始しています。だからこそ、市民を巻き込んだ運動が必要です。

 著書では「社会を変える」方策や歴史についての言及が多々ありますが、ブログはここまでとします。

PS:反原発運動に見る「社会を変える」可能性

 筆者・小熊英二氏は反原発運動に「社会を変える」可能性を見い出しています。東日本大震災福島第一原発事故を受けての2011年4月の自発的に発生した高円寺反原発デモに筆者も参加しているのですが、その時の感じ取った感覚がベースになっています。その現場には大きな開放感と活力があったと。小熊氏は反原発運動を以下のように表現しています。

 2011年からの脱原発のデモで、多くの人が望んでいたことはおそらく以下のようなことだと思います。

 一つ目は、自分たちの安全を守る気も無い政府が、自分たちを蔑ろにし、既得権を得ている内輪だけで、すべてを決めるのは許せない。

 2つ目は、自分で考え、自分が声を上げられる社会をつくりたい。自分の声がきちんと受け止められ、それによって変わっていく。そんな社会をつくりたい。

 3つ目は、無力感と退屈を、ものを買い、電気を使って紛らわせていくような、そんな沈滞した生活はもうごめんだ。その電気が、一部の人間を肥え太らせ、多くの人の人生を狂わせて行くような、そんなやり方で作られている社会は、もう嫌だ。

 これらは、人間がいつの時代にも抱いている、普遍的な思いです。こうした普遍的な思いと繋がった時に起こる運動は、大きな力を持ちます。それが2011年の日本では、脱原発という形をとった、ということです。

 日本で脱原発がかっこうのテーマであるというのは、そういう意味です。そこから各種の行動や議論がおこり、政府側も対話を重視せざるをえなくなり、人々のいろいろな行動や議論や参加の機運が高まってくれば、それは単に原発やめることに留まらない、「社会を変える」ことになるでしょう。

 デモは誰でも参加できる広場です。何か問題が起きたとき、市庁舎がある広場に集まって声を上げるのは民主主義の本来の姿です。そうした「公」の場では、俗世でその人が誰であるかは問われません。誰がきてもいいし、誰でも平等に遇されます。そこには音楽があり、大声で自分の意見を言ってよく、誰とでも交流ができます。

 これが小熊氏の考え方であり、自発的に発生した2011年以降の反原発運動に市民が起こす社会変革の可能性を見出している理由です。ポスト工業化社会と再帰性の増大で揺らぎ、不安定化する現代社会で、市民が自ら考え行動する運動体こそ重要だとメッセージしています。


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